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音楽ライター・オラシオの
「りんごと音楽」
~ りんごにまつわるエトセトラ ~

vol.47 毒にも薬にも

はじめに。今回は少し違う感じで書き進めます。たまには、ということでご容赦ください。

前回「りんごの棚」について書いた後、はたと気づいてしまった。「ああ、またネタが尽きてしまった」ということに。この連載を続けるにあたっていつも考えているのが、いかにネタを探してくるか。リンゴと音楽を関連づけて書くのは意外と難しく、日々の生活の中で「リンゴ」や「アップル」と書かれたものがあると自然に目が吸い寄せられるようになった。

この連載にはいちおう締め切りがなく、いつ書き上げるかはこちらに任されている。おかげさまで心身ともに不調だったころは執筆ペースを大幅に落とさせていただくことで、なんとか連載を生き長らえさせることができた。とは言え、人は締め切りがないとかんたんに書かなくなる。病気の時はありがたかったものの、このまま甘えていては書き手としてダメになってしまう!

というわけで、なんとか自分に鞭打ってできる限り一カ月に一回の更新ペースを保とうとしている。つまりそのペースでネタを見つけないといけない。しかしなかなか見つからない。そんな時、ふと部屋に置いてある本を見ると「アップル」の文字がある。

図書館で借りてきたクリスティーナ・メルドラム著の推理小説「マッドアップル」だ。上で「(リンゴと書かれたものがあると)自然に目が吸い寄せられる」と書いたわりに、この本のことは忘れていた。そもそも借りようと思ったのは「書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020」というブックガイドで取り上げられていたから。

  東京創元社ウェブサイトのマッドアップル紹介ページ
  http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488222079

基本的に読みやすそうなタッチの本から優先的に読んでいくので、あらすじを読みかつ2,3ページ読んだ限りでは少し難解そうな印象を持った「マッドアップル」は、貸出期限を延長したまま放っておいたのだった。

ちなみに借りている本の貸出期限を図書館のホームページで自分で延長できるというサービスについては意外と知られていないので、早く日本人の常識にならないかなと思っている。もちろん、すべての自治体でそのサービスを導入しているわけではないけれど。

7月に開館した黒石市立図書館近くにあるリンゴ

さてさて、そもそも「マッドアップル」ってなんだ? そこで訳を担当した大友香奈子さんによるあとがきを読んでみる。マッドアップルはナスの別名で、ナス科の植物にはアルカロイドが含まれているため、その中には薬にもなれば毒にもなるものもある。

タバコやチョウセンアサガオもナス科で、しかもチョウセンアサガオにもマッドアップルという別名がついているらしい。ふむふむ。そう言えば大学のサークルの先輩が、子どものころにナスを食べすぎてお腹を壊し、それからナスが食べられなくなったと言ってたなと思い出す。ちょっと違うか。

チョウセンアサガオはひところのミステリで盛んに使用されてきた。恐ろしい毒草で、他にデビルズ・アップル、ダチュラ、曼陀羅華、エンジェルズ・トランペットなどの呼び名がある。なるほどなあ、マッドアップル、ネタ作りに使えそうかな。と思っていたら、その時ちょうど読み始めていたジェフリー・ディーヴァー「スキン・コレクター」にもチョウセンアサガオが登場。

  文藝春秋ウェブサイトのスキン・コレクター紹介ページ
  https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167912017

スキン・コレクターには拉致した人に15分という短時間で神業的なタトゥーを彫る連続殺人犯が出てくるのだが、インクの代わりに毒薬を使うのだ。彼(と書いてもネタバレにはならない)が使用する毒薬にはチョウセンアサガオはじめ様々な種類がある。

彼自身は「科学捜査が発展しすぐに分析されてしまうため、毒薬はもう時代遅れの殺害方法になっている」という意見だ。作中で同じく「毒」として登場するのがボツリヌス菌。これもまた毒にも薬にもなる代表的なもので、美容整形に使われたりもする。

ここまで調べてきて「毒にも薬にも」というものが他にないかどうか想いを馳せてみる。真っ先に思いつくのは「宗教」「インターネット、特にSNS」、そして「軍事力」や「核兵器」だ。ロシアによるウクライナ侵攻で世界が揺れているが、抑止力としての核兵器はあくまで最終段階としての終末戦争を止めるためのものでしかなく、それ以前の段階の戦争行為は止められないということが証明されてしまったように思う。

軍事力はよく「国を守るため」にあると言われるものの、しばしば国民を抑圧したり傷つける力になることも歴史が語っている。力を手に入れるといっても、そんなに都合よく人を守れないのだなと改めて痛感する。家族でも恋人でも故郷でも、何かを守りたいと考えている人は多いと思うが、そのことは頭の片隅に置いておくべきだろう。

僕にとってビッグバンド・ジャズと言えばこれ。ジャコ・パストリアスの名曲リバティー・シティー

核兵器と言えば、だいぶ前にビッグバンド・ジャズのリーダーがジャズ雑誌のインタビューの中で「目の前に核のスイッチを押そうとしている人がいたとして、僕たちの音楽を聴かせたらそれをやめさせる自信がある」と語っていたのを思い出した。

確かに音楽にはそういう力があるとは思う。思うけれど、同時にそれは「人の心に影響を与える、人の考えを操作する力がある」ということと同じだとも感じる。そういう力はやはり「毒にも薬にも」の一例なんじゃないだろうか。

ブルース・スプリングスティーンの名曲ボーン・イン・ザ・USA。本来は反戦歌なんだけど・・・

実際に芸術は戦時下で戦意高揚に利用されてきたし、もちろん音楽も例外ではない。最近注目された例では、NHKの朝ドラ「エール」のモデルとなった作曲家古関裕而も「ビルマ派遣軍の歌」などの作品で、消極的にせよ戦争協力したことが知られている。世界各国の国歌も勇ましくパッションにあふれた歌詞が多く、しばし愛国心の称揚に一役買ったりする。

もっとも、ブルース・スプリングスティーンの反戦歌「ボーン・イン・ザ・USA」をドナルド・トランプが最初の立候補時に愛国歌ふうに使った時には、さすがに非難が殺到したらしい。でも人の心を動かす名曲には「誤解される力」すら備わっているということなのだとも思う。実際トランプ支持者がこの曲の有名なサビを合唱していたわけだし。

アップルつながりで音楽に続く何かがないかと探していたら、なんだか意識高い系の話になってしまった。実現性がない「夢」なのだとはわかっているのだが、やっぱりいつも疑問に感じてしまう。どうして戦争や差別がなくならないのか。どうしてすべての国が仲良くできないのか。そういう世の中に、少しでも近づいてほしい。

2022/8/23

Profile

オラシオ

ポーランドジャズをこよなく愛する大阪出身の音楽ライター。現在は青森市在住。

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