vol.30 サンプルは人の為ならず?
質問です。街頭で商品のサンプルが無料配布、またはネット上での無料視聴があったら何を思いますか。「ただで試せる。ラッキー」でしょうか。それとも「無料にしちゃったら作り手が儲からないじゃないか」かもしれません。
「情けは人の為ならず」という言葉があります。だいぶ前から「甘やかしすぎるとその人のためにならない」という間違った解釈で知られるようになってしまっていますが、もともとは「人に情けをかけると、巡り巡ってやがて自分に返ってくる」というような利己的な意味です。同じようなニュアンスの「自業自得」もあります。いい人とか人望のある人って、自分から人を助けることも多いですが、窮地に手を差し伸べられることも多いですよね。
また、他者に対して寛容で受け容れる器がある人も、たくさんの人に認められる傾向があります。絶好の例が俳優の火野正平でしょうか。火野さんは女性に特に人気があって、その理由が「私みたいな女でも受け容れてくれそう」ということみたいです。きっと彼は心のNGゾーンがほとんどないのでしょう。そういう分け隔てのない感じ、人気番組「にっぽん縦断 こころ旅」を見ているとよくわかりますよね。火野さんは、人に心を開いているから人に愛されるんです。まさに情けは人の為ならずです。
今年の朝のNHK連続テレビ小説「エール」は福島県出身の作曲家、古関裕而をモデルにした作品です。古関さん、もともと阪神タイガースのテーマ(「六甲おろし」の愛称で知られる)とかザ・ピーナッツが歌う怪獣映画「モスラ」のテーマ「モスラの歌」などの楽曲が有名でしたが、本人の知名度は決して高くはありませんでした。しかし今回の「エール」で誰もが知る人になりましたね。僕はよく「六甲おろしは、古関裕而という人が作った曲で、モスラのテーマも書いたんだよ」「へええ!」とうんちくおじさんしていたのですが、もうこのネタは使えないですなあ。
さて、この「エール」では、主人公をたびたび助ける木枯(こがらし)くんという作曲家が出てきます。彼は主人公と同じレコード会社の専属作曲家で、伸び悩む主人公を尻目にヒット曲を連発します。モデルは大衆向けのヒット曲を数多く残した古賀政男で、演じているのはロックバンドRADWIMPSのヴォーカル&ギター担当、野田洋次郎です。
RADWIMPSは、新海誠監督のメガヒット作「君の名は。」の劇中音楽のすべてを制作しています。こちらは挿入歌の「前前前世」。
青春の香りがするサウンドです
この木枯くん、主人公をどんどん人に紹介したり良いアドバイスを送ったりとすこぶる「いい奴」です。主人公が行き詰まっていたら、必ず助けてくれる。単純な友人関係ではなく、相手のほうがバカ売れしたら自分の仕事が減るかも知れないというビジネス上のライバルでもあるのに、なかなかこういう態度はとれるものではありませんよね。しかし、彼は底抜けのお人よしなのかと言うと、そうではないと思うのです。
要するに木枯くんは「自分に自信がある」のではないでしょうか。つまり、仮に主人公が台頭しレーベル内で仕事を取り合うような状況になっても、自分が干されることもないし、何なら別の会社に移籍してでも絶対に生きていける(のちに実際に移籍)という確信があるからこそ、主人公を助けるのではないでしょうか。彼はかわりに主人公から絶大な信頼を得ます。そして、自分が困った時にはきっと主人公が助けてくれるでしょう。ただし、見返りを求めての手助けならばそのような関係は築けません。やっぱり木枯くんはすこぶるいい奴なのです。
さて、無料配布サンプルに何を思うかという最初の問いに戻ります。上に書いたことが僕なりの答えで、僕は「商品の質に自信があるんだなあ」と感じるのです。「エール」で木枯くんの善行を見ていても同じことを思いました。ものすごくひねくれた物の見かたなのは自覚しています。
少し前、弘前の東目屋中学の生徒が雪室で保存しておいたリンゴを修学旅行先の浅草で無料配布したというニュースを見ました。その時も同じく「青森のリンゴの味に自信がなきゃできないことだな」と感じたことをおぼえています。東目屋中学校は課外活動の一環として、一年間かけてリンゴを栽培していることで有名です。
スティング、アンディ・サマーズ、スチュワート・コープランドが結成したイギリスのロック・トリオ「ザ・ポリス」は、デビュー時レーベル会社に「契約金は要らないから、レコードが売れた時のキックバックの割り増しをしろ」と主張したそうです。今の目から見ると、この「サンプル時代」の考え方を先取りしているように思えますね。そしてなにより、自信がなければこんなことは言えないでしょう。「3年でビートルズの記録をすべて破ってやる」とも言ってたそうです。おいおい(笑)。しかし彼らは見事売れっ子になりました。
ポリスのデビューアルバムからヒット曲「ロクサーヌ」
現代のエンターテインメント・マーケティングは、もはやサンプル公開なしには成り立たないと言われています。無料視聴される「目先の損」よりも、商品の質に満足したファンが課金する「長い目で見た得」のほうが上回ることがわかったのです。また無料公開によるPVの増加で広告収入も得られるし、AIを使ったターゲティングのためのデータ取得もできます。
修学旅行中の中学生から青森県産のリンゴを手渡された浅草住民の人たちはきっと、青森のリンゴを優先的に買うようになったのではないでしょうか。昔東京に住んでいた僕の印象ですが、東京でリンゴと言えばイメージするのは長野と青森で半々くらいだと思います。どっちのリンゴなのかはあまり明確に意識していない気がします。だからこそサンプル配布の意味がある。それくらい青森のリンゴはおいしいですからね。まあ、長野の人も自分のところのリンゴについてそう思っているでしょうが。
2020/7/30