vol.35 ネアンデルタール人とレア品種
人間という生き物にはとても多様性があり、かんたんに分類ができません。人種ですらボーダーラインがあいまいになってきており、おそらく百年後くらいには人種のミックス化がさらに進んでいるのではないでしょうか。とは言え、国や人種に関係なく人間がはっきりと2つに分かれるような事項もあります。
パッと思いつくのは、政治的思想を基準に「右」「左」と分類するというもの。しかしあれはそんなにくっきり区別がつくわけではないのにむりやりわかりやすくしているだけ。実際は違いますよね。たとえば原発再稼働断固反対の軍隊肯定派の人もいれば、本音は夫婦別姓に反対だけど大まかにはリベラルに属する人もいるはずです。最近はそうした現状を反映してか、左派ポピュリズムとかリベラル右派とかもう何がなんだかわけがわからなくなっています。
個人的には、多様性の象徴として使われているLGBTQという表現も「わかりやすい」区別のように考えています。性のグラデーションには「はっきりしたライン」は引かれていません。誰もが「典型的○○」からはみ出した部分を多少は持っています。LGBTQという言葉は、この現代社会において性の多様性へのより深い理解のために必要な「入口」的役割だと思うので、やがてこうした区別すらなくなるというのが僕の個人的な理想です。
というふうに、人間をはっきり区別するラインを引くのは実はとても難しいのですが、一方でこういう時はどうでしょうか。スポーツで常勝チームや絶対王者的な独り勝ち選手がいる時。または、クラスの中である生徒が「絶対的美少女」とか「非の打ち所のないイケメン」としてもてはやされている時。書店で、ベストセラー本が大きくスペースをとって商品展開されているのを目にした時。こういう時、人ははっきり2つのカテゴリーに分かれるのではないかと思うのです。
たとえば日本の野球界で、王・長嶋のON砲が活躍しはじめてからの読売巨人軍というのは驚異のV9も達成し圧倒的「勝ち組」でした。今もそういうところはありますが、巨額の契約金でスター選手を集め、実際に強かった。強いチームは当然ファンも増え、なんだか日本全体が巨人ファンばかりというような感じになっていく。そしてテレビ放送も巨人の試合が中心に。
ミュージックビジネス史における最強の「勝ち盤」と言えば、
マイケル・ジャクソンの「スリラー」で決まり。
それでも6500万枚。案外少ない。このMVも衝撃的でした。
ふつうに考えれば、みんなで強いチームを応援したほうが、たくさん勝ってくれて楽しい夜を過ごせる確率も高く、より多くの人と一緒に盛り上がれるのでそのほうがいいはず。でも世界は絶対そんなことにはならなくて、どんなに強いチームや選手がいても、必ず別の人たちが好きになるファンがいます。負ける機会のほうが多いのがわかりきっていても。これは自然の摂理としてはかなり不思議なことです。
現在の人類につながっているクロマニョン人と絶滅したネアンデルタール人の命運を分けたのは「大きな集団を形成するかどうか」の違いだったそうです。大人数で生活し、他集団とのコミュニケーションも密だったクロマニョン人は生存のために必要な情報のシェアが盛んで、種全体で生き残ることができた。現代で言うところの、地域や他者とのつながりを持てている人のほうが孤独死の危険性が低いというのと同じことかもしれません。生存競争という面に限って言えば、マジョリティに属するほうが絶対に得なのです。
ザ・ブルーハーツの甲本ヒロトと真島昌利が再び組んだ
ザ・クロマニヨンズ。
オフィシャルチャンネルのこの曲だけ飛びぬけて再生回数が多い。なぜ?
もっともプロ野球やJリーグの場合は「本拠地問題」が絡んでくるので、やや複雑かもしれません。たとえば僕が育った大阪南部は巨人がどんなに強くても、阪神や近鉄のファンのほうが多かったです。それは甲子園や藤井寺球場という本拠地を抱えていたからです。ちなみに甲子園は大阪ではなく、兵庫県です。そうした土地で阪神や近鉄のファンになる人はマジョリティ側にいるわけで、心理的に分類すれば巨人ファンと同じ視点の人たちということになるのではないでしょうか。ちなみに、僕は大洋ホエールズのファンでした。
弱いものについ味方してしまう「判官贔屓」や、流行をタイムリーにフォローするよりもあまり知られていないもののほうに目が行く人は基本的に何事につけてもそういう姿勢なのではないかと思います。誰もが振り向く美女が街を歩いていれば別の女性に目を向けるし、書店ではベストセラーコーナーを避けて通る。そういう人、いるでしょう。
映画「アマデウス」を観て若き天才モーツァルトに嫉妬するおじさんサリエリに感情移入する人は判官贔屓の素質あり? ちなみに実際のサリエリはモーツァルトに敬愛されていて、後輩を助けてあげる人格者だったそうです。原作のプーシキンの妄想?
言葉にすると意地を張っているっぽいですが、それはその人たちにとって自然な行動なのです。その「自然さ」は、流行やベストセラーを積極的に追って時代との一体感を感じようとする人たちと同じです。ふつうに生きているとなぜかそうなるのです。お互い自分らしく生きているだけなのですが、ネアンデルタール脳の人とクロマニョン脳の人が不思議と分かれるんですよね。
リンゴ好きの人もそのようにはっきり分かれるのではないかと思っています。安定の流通量と評価を誇る定番種や「おなじみの味」を優先する人と、レアな品種を積極的に探して試していく人。僕やパートナーは完全にネアンデルタール系なので、スーパーや外出先ではまず希少品種が置いてるかどうか探します。僕らの財布の紐をゆるませるのはかんたんで、ポップに「市場に出るのが珍しい」とか「レア」とか書いておけばいい。昨年は探索の甲斐あって「紅の夢」「こうとく」「千雪」「青林」「あいかの香り」「安祈世(あきよ)」などの希少種をたくさんゲットできました。
とは言え、なんとなくネガティヴイメージがあるレコード・CDの廃盤や万年Bクラスのスポーツチームと違い、リンゴの希少種がレアなのは「たくさん作れない」などの生育条件によります。味が良くないから生産数が少ないわけではない。レアだろうが定番だろうが食べておいしければそれでよし。レア品種のファンになっても肩身が狭い気持ちになる必要は一切なし。なのでみなさんもぜひ希少種を試してみてください。
2021/1/28