vol.12 Some Kinds of Touch
シャキッ、カリッ、ザクッ。リンゴをかじると、品種によって触感(食感)がまるで違うのに驚きます。私はどちらかと言うとカチカチに硬い品種が好きなのですが、逆に粉っぽい柔らかいリンゴが大好きな人もいます。その好みが人ざまざまなことにも驚きます。リンゴの好みを左右する要素には、味、香りが二大要素に挙げられると思いますが、触感も隠れたファクターなのではないでしょうか。少なくとも、私はそんなに好きじゃない触感の品種だと味をあまり感じなくなってしまいます。私にとっては、リンゴで一番大事なものは触感なんでしょうね。硬い食感の品種はふじ(サンふじ)やシナノゴールド。柔らかいものは王林や金星などが代表的な品種だそうです。もっとガリガリと硬いものだと、酸っぱい味で有名な紅玉があるとのこと。
触覚は、人が最後まで手元に残すことができる感覚です。視覚、聴覚、嗅覚、味覚をさまざまな理由で失うこと(あるいはもともと持っていないこと)はあっても、触感を失ってしまう方はそれほど多くないのではないかと思います。それゆえに、ものに触れた時の心の動きには、他の感覚とは違う、ある種の奇跡のような何かが宿っているような気がします。ヘレン・ケラーやスティーヴィー・ワンダーなど、複数の感覚を失った人たちが成し遂げた偉業も、触覚が足掛かりになっていると言えます。ものに触れて、何かを感じる・作り出す。それは、とても神聖な体験なのではないでしょうか。
さて、音楽を構成する3大要素はメロディー、ハーモニー、リズムだとよく言われます。この3つに「ダイナミクス(強弱)」を入れて4大要素とするべきだと提案したのが、60年代から活躍し、今も現役バリバリの革命的ドラマー、ビリー・コブハムという人でした。名言だと思います。しかし、私はその4つにもうひとつ付け加えたいのです。その5つ目の要素は「音色」です。
ドラムのイノヴェイター、ビリー・コブハムのドラム。
彼もまた非常に個性的で素晴らしい「音色」の持ち主です。誰にも真似できないタッチを持っています。
私はポーランドのジャズを専門に書く珍しい音楽ライターとして知られているのですが、そもそもこの国のジャズにハマった理由のひとつが「ものすごく音が美しいな」ということに驚いたからでした。一概に「音色の美しさ」と言っても、当然いろいろな種類があります。ポーランドに入れあげるまでにも、北欧やフランス、イタリアなどアメリカとはまた違う美意識を持つジャズはたくさん聴いていました。それらの国のジャズはクラシックをベースにしたものも多く、音の美しさにも定評がありました。
でも、私がポーランドのジャズに惚れ込んだのは、そうしたヨーロッパのジャズに一度飽きてしまってからしばらく経った後なのです。その音色が持つ何かに、抗いようもなく惹かれてしまったのです。なかなか言葉では説明しづらいのですが、ポーランドのジャズから感じる独特の音色の美学は、例えて言うなら気に入った触感のリンゴの品種をかじった時のような喜びを感じさせてくれるのです。音色は聴覚で感じとるもののはずなのに、もっと体と心の奥深いところを刺激する、むしろ触覚的体験なのではないかと思います。その音楽の本質と、肌で触れあっているような気持ちになるのです。
ポーランドのジャズ・ピアニスト、ミハウ・トカイのトリオ。
例えばこの曲からは「ポーランドの音色」がたくさん響いてきます。でもそれがどんな音なのかは説明できません。ただ私の心にビンビンくるのです。
以前ポーランドがらみで、世界的なギタリストで作曲家の内橋和久さんと一緒に仕事をしたことがあるのですが、内橋さんが「技術面では上手い奴はいくらでも出てくるし、どんどんレベルも更新されていくけれど、下手でも独特の音色を持っているプレイヤーは本当にワンアンドオンリーで、誰も超えられない。演奏者から凄さを感じるのはやっぱり音色だよ」と仰ってたのがすごく印象的でした。
例えばクラシックの歴史に残る名手たちは、それぞれ超人的な技巧を持っていましたが、本当に評価されているのは技術ではありません。それ以上に「自分だけのタッチ」を確立していることが名手の必須条件です。中には世界中を巡るコンサート・ツアーにマイ・グランド・ピアノと専属の調律師を帯同させるほど音色にこだわりを持つクリスティアン・ツィメルマンのようなピアニストもいます。それほどに、自分だけの音、理想の音色が音楽を左右するということなのでしょう。確かに技術の良し悪しだけで奏者ごとの個性を判断はできませんよね。歌手の歌声もそうじゃないでしょうか?
ポーランドとベルギーの両国のミュージシャンが結成したジャジー・ポップ・グループの1曲。
この女性ヴォーカリスト、アレクサンドラ・クフャシニェフスカの声は天賦の才能。強烈なインパクトの歌声です。
音色、タッチは人間の性格にも通じるところがあるかもしれません。例えば私たちは、友人を選ぶのに「性格の良し悪し」で選んでいないのではないでしょうか。それよりも、その人の口調、言葉の選び方、全体から醸し出すムードや普段の立ち居振る舞いなど、その人自身から受ける「感触」を無意識に重視しているのです。性格が多少悪くても生涯の親友になったりしますし、そんな友達を持っている人が必ずしも性格的に同類だということもないでしょう。その何となく「ピンとくる」感じは、性格がいい・悪いとかのかんたんな言葉で表現できない深い何かに通じていると私は思います。
スーパーに並んでいる商品やいただきもののリンゴには、品種ごとにそれぞれの触感があります。同じ品種でもコンディションや収穫からの日数で一つずつタッチが違うこともありますよね。「あ、これ当たりだった」みたいなこと、ありません?友だちにも音楽にも、きっとそういう瞬間があるはずです。それはものすごく、ステキな体験なのです。ぜひお気に入りの音楽や大好きな人のことを考えながらリンゴをかじってみてください。
2016/11/22