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第8回 侵入病害第1号・リンゴ黒星病

 海を渡ってきたのはリンゴだけではない。リンゴに発生する病害も海外からやってきたものがある。

 リンゴ生産者が遭遇した海外からの侵入病害の第1号としてリンゴ黒星病が挙げられる。日本における黒星病の発病は、1954年に札幌郊外で被害葉が見つかったのが初発生である。黒星病の侵入経路は、当時札幌近郊に駐留していた米軍が自国産リンゴの黒星病被害果を持ち込んだと言われたが、明らかでない。

 黒星病は、リンゴを栽培しているどこの国でも発生する子のう菌の一種によって起こる世界的に重要な病害である。本病はかなり古い時代から存在していたようで、いつ頃から常発していたかは明らかでないが、16世紀に描かれた絵画の中に黒星病被害果の描写があるという。病原菌に関する最も古い記録は、1819年にスウェーデンの植物学者によって報告されている。

 北海道でりんごを栽培して80年間以上も本病の発生がなかったことは、むしろ幸運であり、不思議でもある。

 黒星病の初生が確認されてから、北海道のリンゴ栽培地帯の全域に拡散するまで13年間を要した。道内での拡散が遅かったところから、りんご関係者は諸外国で恐れられているような恐怖感を持たなかったようである。しかし、本州のリンゴ生産県は黒星病を警戒し、北海道産リンゴの本州への移動を阻止しようとする機運が高まった。

 ○ 黒星病とは

 黒星病の病徴は、主に葉、果実に発生する。特に春先の気温が冷涼で湿潤な地域での発生が多く、主な被害は果実の被害である。幼果に発生すると病斑部分が肥大しないで奇形になり裂果し、商品価値はゼロになる。収穫期に感染した場合は、貯蔵中に発病する。葉では、開花直後の若葉に微細な緑褐色の斑点が形成され、やがて周縁のはっきりした黒紫色のすす状斑点を形成する。

黒星病にかかった果実

 ○ 本州における黒星病の発生

 本州では1968年に岩手県下で初めて発見された。続いて69年に秋田、70年に宮城、72年に山形、福島、新潟、73年に栃木、群馬と発生地域は拡大し、75年には長野にも発生し、わが国のリンゴ栽培地帯全域に発生するようになった。

 ○ 青森県における黒星病の発生

 青森県では、1969年に八戸市、上北町、倉石村で黒星病が確認された。その後県南地方では毎年発生が続いたが、津軽地方の集団園地では発生が認められなかった。その理由として、津軽地方での薬剤散布がよく行われていたことで侵入を防いだとみられていた。

 ところが、1972年に弘前市三和地域で黒星病が津軽地方で初めて確認され、7月末まで283ヶ所、18,781haで発生した。

 県は対策本部を設置し、防除基準の緊急改定や被害葉の摘み取り・焼却、放任発生園の伐採・焼却を徹底させた。

 全県をあげての黒星病撲滅作戦に対する国、県、市町村の助成額は4億円に達した。海外から新しい被害虫が侵入した場合、生産者の心理的不安、経済的ダメージが、いかに大きなものであるかを示すものである。

 1972年以降、防除対策を強化したものの、黒星病は県下のリンゴ園に定着した。卓効のある殺菌剤の登場により発生密度は低下し、生産量に影響するような実害は受けなかった。

 黒星病は2016年、17年、18年と3年連続して多発している。その要因として広域に菌密度が高まっていること、感染しやすい条件下で降雨があったこと、殺菌剤に対する耐性菌の出現があげられる。

 今後の黒星病防除には、よりきめ細かい発生予察法とその伝達法の確立及びマニュアル通りの防除対策の徹底が不可欠である。

黒星病にかかった葉

 ○ 黒星病抵抗性品種

 病害抵抗性品種を利用することにより、殺菌剤の散布を大幅に削減できる。

 現在栽培されているリンゴ品種の中で、「あかね」、「さんさ」、「あおり9(彩香)」は黒星病に対して圃場抵抗性を持っている。

 現在、園内で育成された黒星病の真性抵抗性品種は「あおり25」のみである。より抵抗性の強い黒星病抵抗性品種の育成は抵抗性母本の食味レベルが低いため、良食味の抵抗性品種の育成は非常に困難である。

(2018/8/21)

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プロフィール

一木 茂

元青森県りんご試験場長。現在はりんごについて広めるべく、筆を執る。

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