第14回 早生品種のエース「つがる」
青森県のリンゴ生産量(2015~2017年の3ヵ年平均)は444,567トンである。品種別生産量の割合は早生種の「つがる」が10.3%、中生種の「ジョナゴールド」が9.8%、晩成種では「王林」が10.4%、「ふじ」が49.1%であり、「つがる」は早生品種のエースである。
1.「つがる」の生い立ち
「つがる」は青森県りんご試験場(現・青森県産業技術センターりんご研究所)で育成された。
1930年に「ゴールデンデリシャス」にある品種の花粉を交配して生じた実生を1943年に選抜し、1970年に「青り2号」と仮命名、1975年に「つがる」として命名登録された。
35年くらい前の品種紹介には「つがる」の両親を「ゴールデンデリシャス」×「不明」と記載されていた。先に来るのは母親で、後が父親である。しかし、1990年に弘前大学の遺伝子診断により、父親に「紅玉」と特定された。「ジョナゴールド」の両親も「つがる」と同じである。
〇後澤憲志の回想
1937年から1950年まで青森県りんご試験場に在職し、その後長野県に転出した後澤憲志は、「つがる」について次のように回想している。
1946年4月に青森県りんご試験場に復帰した(注:2年4ヶ月の兵役に服した)頃の試験場は、試験研究に携わる若い人もおらず、しかもひどい食糧難時代であり、試験研究ができる状態でなかった。ところが、ただ一つ、リンゴを食べながら、しかも、1人でできる格好な仕事、つまり品種選抜の仕事が残されていた。
品種選抜の担当者ではなかったが、これ幸いと、その1年間は約1haある交雑実生園でリンゴ食いの仕事を始めたわけである。ところが空腹防止といえども、仕事としてリンゴを食べ続けることは、如何に大変であり、それこそ難行苦行であったことが想い出させる。
私が食べたうち、ただ一つ美味しいと思ったのは、比較的早熟の「7不明」の実生であった。肩の部分がほんのりと橙黄色に着色する程度の「ゴールデンデリシャス」型の青いリンゴという印象が残っている。
しかし、この樹は紋羽病に侵されていたため、味がよかったのかも知れないと思い、翌年早急に接ぎ穂をとらせ、別の苗木を作るよう指示し、この仕事から解放された。この実生があとで「つがる」と名付けられ、立派な早生品種になるとは夢想だにしなかった。とにかく、思いがけない光輝く拾いものをしたような気になったりした。
2.「つがる」の欠点克服
「つがる」は選抜当初から味がよいことで知られていたが、「くしゃみをしても落ちる」と言われるほど収穫前の落果が多いこと、冷蔵施設が未発達の頃に、普通倉庫におくと果実表面に油が浮くこと、色もあまりよくないなどの理由により、青森県の生産者はあまり注目しなかった。
しかし、県外では8月に収穫できる味の良い品種として「つがる」は注目されはじめ、特に長野県では栽培が盛んになってきた。
「つがる」の収穫前落果は、落果防止剤の散布によって回避された。着色の難点は、数多くの着色のよい枝変わりが発見され、広く普及したことにより、「つがる」は味、形、色ともに素晴らしい品種となった。
なお、「つがる」は「シナノレッド」、「未希ライフ」、「ファーストレディ」、「北紅」、「シナノスイート」、「もりのかがやき」、「あいかの香り」などの親でもある。
3.「つがる」の命名余話
「つがる」は「青り2号」として仮命名されていたが、青森県りんご試験場で1970、71年に場内から募集して決められたものである。
命名される以前に「ゴールデン不明」、「不明7号」、「高月(群馬県)」、「紅林(岩手県)」、「早生ふじ(長野県)」などの仮名称があった。
「津軽」という漢字表記の品種は、わが国における最初のリンゴ育種家前田顕三(旧・北津軽郡梅沢村)によって、1926年にリンゴワタムシ抵抗性品種として命名されていた。
青森県りんご試験場は、前田家に名前を譲っていただくよう懇願し承諾を得たので、「つがる」として1973年9月14日に農林大臣あてに名称登録を出願した。
しかし、この名称登録出願に関して、当時この品種を積極的に導入していた長野県から「つがる」という品種名はあまりにもローカル的ではないかとクレームがついた。
これに対して、青森県りんご試験場は「青り2号」が1974年産から「つがる」という名称で県内の果物店で販売されていること、大手種苗業者の果樹苗木カタログに、1974年より「つがる」という品種名で掲載されていること、県内の新聞に「つがる」という品種名の内示公表が報道されていることなどを理由に、名称変更し混乱を招く恐れがあることで変更しないことを決めた。
このようなことがあり、1975年11月28日付けで、「つがる」にやっと命名登録された。
(2019/8/29)