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第4回 「ふじ」のルーツ

 世界で一番生産量が多く、人気のあるリンゴ品種は「ふじ」である。「ふじ」が新品種として命名登録されたのは1962年である。

「ふじ」は1939年5月23日に青森県藤崎町にあった農林省園芸試験場東北支場で「国光」に「デリシャス」を交配し、得られた種子をまいて生じた苗木(交雑実生)の中から最も優れたリンゴが成った1本から選ばれた。これを「ふじ」の原木と呼んでいる。

 世界の「ふじ」のすべては、この1本の原木から穂木をとって接ぎ木によって何代も接ぎ継がれたものである。もっとも「ふじ」の一部は枝変わりという突然変異を起こし、原木の果実より濃く着色する系統や熟期の早い系統が多く生まれている。

 この原木は、研究組織の移転にともない1961年に岩手県盛岡市の農林省園芸試験場盛岡支場(現在:国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構果樹茶業研究部門リンゴ研究拠点)に移植され、今も大切に保存されている。

ふじ原木(2014年9月20日)
ふじ原木(2014年9月20日)

「ふじ」の両親はアメリカ生まれである。母親である「国光」の原名は「ロールス ジャネット」で、1800年代の初期にアメリカ・バージニア州アマスト郡のロールス果樹園にあったという。しかし、この品種が偶発実生(リンゴの種子をまいた中から、その果樹園で偶然によい品質のリンゴが発見され育てられた樹で、両親は明らかでない)なのか、他地方から導入されたのかは明らかでない。現在、「国光」はアメリカでは経済品種ではなく、観光リンゴ園などに歴史的品種として栽培されている。「国光」の日本への導入は、1872年に開拓使(1869~1883年の間、北海道開拓・行政の為の政府機関)によってなされた。

 一方、父親の「デリシャス」はアメリカ・オハイオ州ペルーのヒアット果樹園で発見された偶発実生である。1890年にスターク商会から売り出された。日本への導入は1913年である。「デリシャス」からは、スターキングデリシャスなど着色系の枝代わりが多く出ている。これらの着色系統は「レッドデリシャス」と総称され、アメリカでは主力品種となっている。

「ふじ」の両親のもとをたどると、17世紀の初めヨーロッパからアメリカ大西洋岸への移住者が、それぞれ母国から持ち込んだリンゴの子孫である。

 スイス湖棲民族の遺跡から炭化した小さなリンゴが出土していることから、ヨーロッパでは紀元前2000年以前からリンゴを食べていたと推定される。

 リンゴは古代ギリシャ人やローマ人に愛好され、その後ヨーロッパの中・北部に伝わり、多くの民族の手を経て少しずつ改良され、その気候風土に適応しながらだんだん変化発達して栽培品種となっていった。ヨーロッパ中・北部には野生のリンゴ原生林はなく、大昔にどこからリンゴが持ち込まれたのであろうか。

 リンゴの起源はカフカス(コーカサス)山脈の北斜面、あるいは天山山脈の東および西側あたりといわれている。ヨーロッパのリンゴはここから持ち込まれたものであろう。しかし、中央アジアにも栽培リンゴと近縁の野生種が分布している。

 1992年9月上旬、農林水産省の研究者たちが中央アジアの果樹遺伝資源探索のためにカザフスタンのアルマ・アタ(リンゴの木の山という意味)を訪ねている。この地域の山は比較的なだらかで、高度1700m程度で低く、北斜面の1500mのところまで落葉樹が群生していた。

カフカス(コーサカス)山脈と天山山脈、アルマ・アタ
カフカス(コーサカス)山脈と天山山脈、アルマ・アタ

 その中に、幹周3mもあるリンゴの巨木があり、果実は直径4cm程度が標準で、中には栽培リンゴに匹敵する大果も見られた。果皮はほとんどのものが黄色で、中には鮮やかな紅しまの入ったものもあったと報告している。

「ふじ」の両親はアメリカ原産であるが、そのルーツをつきつめていくとヨーロッパ、結局はリンゴの原生地にたどりつくのである。

ふじ

(2018/3/12)

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プロフィール

一木 茂

元青森県りんご試験場長。現在はりんごについて広めるべく、筆を執る。

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