Vol.20 女たちはおしゃべりをし、りんごを食べる
韓国映画にはよくりんごが登場する。しかもその大きさや食べ方は、日本の場合とよく似ている。アメリカやヨーロッパの映画で出てくるりんごはたいてい手のひらにすっぽりとおさまるサイズで、食べるときは皮からがぶりと齧り付き、ひとりでまるまると食べてしまう。
Vol.19 クリスマスに贈られた一個のりんご
誰かにりんごを贈ること。その意味するところは何だろう。以前このコラムで書いたように、アメリカでは、学校で生徒が先生に磨いたりんごを贈るのが伝統らしいが、ではクリスマスに贈られたりんごにはどんな意味があるのだろう?
Vol.18 最後の晩餐で食べる特別なりんご
コロナ禍で滅入ってばかりの毎日。そんなときに見る映画は、できるだけ明るいものであってほしい。せめてフィクションのなかだけでも幸福な今を見たい。その一方で、より暗く、救いようのない現実をこそ見たいとも思う。…
Vol.17 りんごに囲まれて育った少女の青春物語
たどたどしく言葉を吐き出す少女。重たい口を必死で開こうとするけれど、うまく言葉が出てこない。どんなに「普通」にしゃべろうとしても、強い訛りがまつわりついて、それがよけいに口を重くする。しゃべりたいことがないわけではないし、むしろ頭のなかにはいろんな言葉が溢れている。…
Vol.16 笠智衆はりんごの皮を剥く
最近、過去に見た映画を見直すことが増えてきた。というより、昔見たはずの映画が思い出せなくなってきた。それで、映画について書いたり考えたりする際に、もう一度DVDや配信で、あるいは名画座で見直さざるを得ないのだ。再見するとわかるのは、過去の記憶はまるで役に立たないということ。こういう映画だったよね、という自分の記憶はたいてい間違っていて、いったい何を見ていたのかと我ながら呆れてしまう。…
Vol.15 悲しむ者はりんごを丸ごと食べつくす
ここ数年、中国の若手監督たちが、次々におもしろい作品を発表している。そのひとりが、現在公開中の『春江水暖〜しゅんこうすいだん』を監督した1988年生まれのグー・シャオガン。…
Vol.14 パンを捏ね、ケーキを焼くこと
このところ、毎日のように何かを捏ねては焼いている。「コロナ禍」という言葉が世間にあっというまに広まった今年の3月以降。スーパーやドラッグストアの棚からは、マスクに続き、トイレットペーパーやティッシュペーパーなど、生活必需品が次々に消えていった。…
Vol.13 部屋のなかに隠された3つのりんごの話
映画のなかのインテリアを見るのは楽しい。うっとりするほど豪華な部屋に見惚れたり、こんな家具が家にあったらいいのにと夢見たり。おしゃれな部屋にかぎらない。普段の生活では見ることのない住まいを見るだけでも十分楽しい。この国ではこんなふうに家族で生活するんだな、と驚くこともあれば、時代も国も違うのに意外と自分の家と似ているな、と不思議な一致に感心することもある。…
Vol.12 ラブコメの女王はりんごがお好き?
先日、久々に1990年代のラブコメ映画をいくつか見直した。「おこもり期間に見たい90年代の恋愛映画」というテーマで原稿を依頼されたからなのだが、なつかしい作品に再び出会えて、なかなか楽しい仕事だった。ジュリア・ロバーツの名前を一躍有名にした『プリティ・ウーマン』(ゲイリー・マーシャル監督、1990年)や『ベスト・フレンズ・ウェディング』(P・J・ホーガン監督、1997年)。…
Vol.11 「りんごの画家」セザンヌの伝記映画にりんごは登場するか
芸術家の伝記映画を見るたびに、こういう人たちと生活を共にするのは大変そうだな、とつい思ってしまう。もちろんそれは映画だからこそ思うこと。実際は、芸術家だから実生活でも大変な人たちで、それ以外の人は普通の生活を送っている、なんて単純なわけがない。それでも、映画で描かれる芸術家たちはみな揃いも揃って大変な人ばかり。…