Vol.21 りんごを食べる男の、喪失と再生の物語
■記憶喪失を引き起こす病が蔓延するSF的世界
この連載を始めてから、りんごが登場する映画を日々探している。劇中に登場することはあっても、タイトルにそのままりんごが出てくる映画は、そうたくさんはない。だから以前ここで紹介した 『アダムズ・アップル』を見つけたときは、思わず「やった!」と心のなかで呟いた。デンマークで生まれた、りんごの木と、りんごケーキをめぐるちょっとグロテスクなコメディ映画。ここまで堂々と「りんご映画」として紹介できる映画は、『アダムズ・アップル』を置いてまずないだろう。そう思っていたら、またもぴったりな映画が見つかった。3月から全国で公開される『林檎とポラロイド』(原題は「Mila」で、英語のタイトルは「Apples」)。実際に見てみると、タイトル通り、たしかにりんごの映画そのものだった。しかもこちらもかなりおかしな味わいに満ちた映画。
『林檎とポラロイド』は、ギリシャ出身のクリストス・ニク監督による長編デビュー作で、女優のケイト・ブランシェットがその才能に惚れ込み、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加したことも話題だ。物語の舞台は、ある奇妙な病が蔓延する架空の世界。画面に映る風景は、ごくごく普通の日常に見える。けれど、突然道で呆然と佇む人や、車を急に止めたきり、通行人の問いかけに何も答えられない人などがぽつぽつと現れ、何か異様なことが起きているのだとわかってくる。ここで蔓延しているのは、ある日突然、何の予兆もなくすべての記憶が失われる病。病の原因はわからず、一度かかれば記憶の回復はほぼ望めないという。
まるでSF映画のようでもあり、その実、私たちが今生きている世界そのもののようにも思える。新型コロナウィルスの感染拡大が進む現在の光景だって、もし数年前に見ていたら、SF映画の一場面としか思えないはずだ。それでも私たちが日々をどうにか過ごしているように、映画のなかの人々も、病の流行を半ば諦めつつ、なんとか適応して生きているようだ。
■「新しい自分」になるための回復プログラム
主人公は、乗っていたバスの中で突然記憶を失った一人の男。気づいたとき、彼は、自分の名前や住んでいた場所、年齢はもちろん、行事やイベント、人との一般的な付き合い方など、生活に必要な知識すら何も思い出せなくなっていた。病院でやはり病による記憶喪失だと診断された男は、医師から、ある回復プログラムを提案される。それは、記憶を取り戻すことは諦め、まったく新しい人生を始めるためのプログラム。さまざまな経験を通して新たな知識を蓄え、別人に生まれ変わるというわけだ。
プログラムに参加することを決めた男は、病院が用意した家に住み、与えられたミッションを一つ一つこなしていく。ミッションはどれも、日常を過ごしていれば普通に体験するかもしれないこと。自転車に乗り、パーティーに参加し、ときには映画を見たり、ちょっと刺激的な場に行ってみたり。日常のささいな行為の積み重ねが、彼を新しい「自分」にする、というわけだ。やがて彼は、同じプログラムに参加するある女性と出会い、親しみを抱くようになる。だがそれに応じて、ミッションの内容も徐々に過激になっていく。
登場人物たちは、笑うでも泣くでもなく、みな真顔のまま。大の大人がミッションを淡々とこなしていく様はとてもシュールだ。しかもこの世界には、インターネットやSNS、携帯電話すら存在しないらしい。プログラムの参加者は、カセットテープに録音されたミッションを聞き、ポラロイドで撮影をし、それを日記に貼り付ける。人を訪ねるときも、電話をかけるか、直接家を訪ねていく。ここは近未来の世界のようでもあり、少し過去に戻ったようでもある、不思議な世界なのだ。
■とにかくりんごが大好きな男
すべてを忘れた男が、ひとつだけ覚えていることがある。それは、りんごが好きだということ。病院で出されたりんごを一口齧った瞬間、男はその美味しさを思い出したのか、それ以来、りんごをいくつも買っては食べつづけるようになる。
新しい家の近所にある果物店で、彼は迷わずりんごを買う。店主に「今日はオレンジがおすすめだよ」と勧められても見向きもしない。淡々とりんごを買い続け、ナイフで少しずつ削っては食べる男の姿は、本人がいたって真面目なぶんなんだか可笑しい。食べ物の記憶というのはそこまで大きいのだろうか。
たとえばもし自分がこの病にかかったとき、りんごを渡された途端無意識にするすると皮を剥き始め、「なるほど、この人はりんごを食べ慣れているんだな。もしかしてりんごの産地で生まれ育ったのかもしれない」と推測されたりするのだろうか。そんなことをつい想像してしまう。ところが、それほどりんごが好きだった男は、あることをきっかけに、一切りんごを口にしなくなってしまう。その理由は何なのか、という疑問が、この映画の大きな鍵となる。
■亡き父との思い出から生まれた物語
インタビュー記事によれば、クリストス・ニク監督がこの映画をつくったきっかけのひとつは、大好きだった父親の死、という悲しい出来事だという。彼は父の死から立ち直れず苦しむうち、他の人々はどうやって大事な人の喪失と向き合っているのか、どうすればこの辛い記憶を忘れられるのかを知りたいと思うようになる。そうして、記憶をめぐるこの物語が生まれたのだという。
物語が進むうち、ブラックユーモアを交えた奇妙なコメディに思えていたこの映画が、実はまったく別のものを描いていたとわかってくる。男は何を考えこのプログラムに参加しているのか。彼がいくつもの経験を経て得ていくものは何なのか。そしてなぜ彼はりんごを食べるのをやめたのか。映画の各所に散りばめられた小さな疑問が一つまた一つと重なるうち、やがてある真実が浮かび上がる。
ニク監督の父親は、1日に8個も食べてしまうほど大のりんご好きだったようだ。そして彼は素晴らしい記憶力の持ち主でもあったという。愛する父の思い出を映画にたっぷりとこめながら、監督は、喪失と再生の物語を語る。それはどこかとぼけていて、けれど悲しい優しさに満ちている。
2022/3/10