第4回 りんごを磨く人とは誰のこと?
■映画で知ったおもしろい英語表現
映画のなかで、外国語の表現を知るのは楽しい。たとえば、子どもの頃に大好きだった『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス監督、1985年)。マイケル・J・フォックス演じる主人公が、いつもある言葉を言われると我慢できずにキレてしまうのだが、吹き替え版ではたしか「腰抜け」と言われていた。大きくなり、字幕版を見て気がついた。実際に主人公が言われていたのは「Chicken(チキン)」という言葉。英語では、「Chicken=腰抜け」という意味で使われるのだと教えてくれたのは、学校の授業ではなく、たしかにこの映画だった。
りんご(apple)をめぐる英語の言い回しについて教えてくれたのも映画だった。きっかけは、何気なく見ていた『バッド・ティーチャー』(ジェイク・カスダン監督、2011年)。これは、キャメロン・ディアスが身勝手なダメ教師役を演じたコメディ映画。キャメロン・ディアスが演じるエリザベス先生はかなりひどい。いつも酒を飲み、大麻を吸い、楽して金を稼ぐことだけ考えている。お金稼ぎに必死になるのは豊胸手術のためで、その理由も、大きな胸を手に入れれば金持ちをたやすく引っかけられるから、というなんとも安直な発想。そんな下品な笑いに満ちたコメディ映画のどこにりんごが登場するかといえば、まずはオープニングシーン。昔と今の教室での様々な風景が、白黒とカラーの映像、ときにはアニメーションも取り混ぜながら軽快な音楽と共につなげられていく。その冒頭、可愛らしい生徒が先生に真っ赤なりんごを差し出すシーンが映る。それを見た先生は嬉しそうに顔をほころばせるのだが、いったいこれにはどんな意味があるのだろう?
どうやらアメリカでは、自分の子を教えてもらうお礼にと、親がピカピカに磨いたりんごを子どもに持たせて先生に贈らせる昔からの風習があるらしい。おもしろいのは、そこから、「apple-polisher(りんごを磨く人)」=「ごまをする人」という意味が生まれたこと。つまり先生にりんごを差し出す子どもの図は、先生に敬意をこめた行為である一方、はたから見れば、いかにも先生に取り入る生徒にも見えるというわけだ。『バッド・ティーチャー』では、エリザベスのライバル的存在として、熱血教師エイミー(ルーシー・パンチ)が登場する。エイミーの教室では、生徒たちの机すべてにりんごが乗っている。「先生が生徒にりんごを配るわけ?」といぶかしげに尋ねるエリザベスに、エイミーはうっとりした顔でこう答える。「教師だって生徒から学ぶことは多いでしょう。これが私の信条なの」。つまり普通とは逆に、エイミーは生徒に媚びを売る先生だというわけだ。ただし、どんなにりんごを磨いても彼女は生徒から全然好かれていないのだけれど。そんなある日、エイミーは自分の教卓にピカピカのりんごが置かれているのを見て大喜び。「いったい誰がりんごを置いてくれたの?」と満面の笑みでりんごに齧り付くが、実はこれはエリザベスの罠。同じ男(ジャスティン・ティンバーレイク)を狙う彼女を蹴落とそうと、りんごに皮膚がかぶれる薬を塗っていたというとんでもないオチが待っていた。
■『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』
1997年に公開された『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』という映画でも、ちらりとだが、このりんごをめぐる教師と生徒のやりとりが映される。『グッド・ウィル・ハンティング』は、デビュー直後のマット・デイモンと、親友のベン・アフレックが共同で脚本を書き、それをガス・ヴァン・サントが監督した映画。『バッド・ティーチャー』とはまったく違う、どの世代が見ても感動できる良作で、日本でもいまだに多くのファンを持つ。主人公は、ボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)で清掃員として働く21歳の青年ウィル・ハンティング(マット・デイモン)。彼はめぐまれない人生を歩んで来た青年で、いつも荒っぽい仲間とつるんでいるが、実は天才的な数学の才能を持っていたことが判明し、人生が大きく変わる。
りんごをめぐるシーンが登場するのは、映画の冒頭、MITで数学を教えるランボー教授(ステラン・スカルスガルド)が大勢の学生たち相手に講義をしているシーン。教授は、課題について話をしながら教卓の上に乗ったりんごに目をとめる。ピカピカに磨かれたりんごを手に取ると、それを前の席の生徒へとぽんと投げて返す。「ほら、これは君に返そう」。学生たちは、その動作にどっと笑い声をあげる。一度目に見たときは、このシーンの意味がよくわからなかった。だが「apple-polisher(りんごを磨く人)」の意味を知ってから見直すと、なるほど教授は「ごますりは僕には通用しないよ」と冗談めかしていたのか、と想像がつく。そして、先生の冗談に気軽に笑う生徒たちの様子から、このちょっといかめしく見える教授が、学生たちから好かれているのもよくわかる。
ランボー教授は、ウィルの数学的才能にいち早く気づき、才能を生かす職に就かせようとする。短気な性格から傷害事件をくりかえすウィルを更生させるため、教授は、古い友人で別の大学で心理学を教えるショーン・マクガイヤ(ロビン・ウィリアムズ)に彼のカウンセリングを頼む。ショーンは、この天才青年の孤独さに気づき、まずはその心の扉を開けようと試みるが、ランボーは、ウィルの数学的才能を世に出すことにしか興味がない。だから、ウィルがいつまでたっても大学での職にも興味を抱かず、紹介した一流企業での仕事も拒むことに苛立ちを募らせる。
■教師と教え子としてではなく
「このまま一生清掃員や工事現場の仕事をするつもりか? そんなのは才能の無駄遣いだ」と教授は怒る。だがウィルは「それの何が悪い?」と真っ向から反論する。ずっとこのまま、その日暮らしの仕事をして、気の合う仲間と毎晩ビールを飲む生活でかまわない。勉強なんて学校で学ぶ必要はない、好きな本を図書館で借りて読めばいい。そんな彼が理解できず、ランボー教授は怒りをあらわにする。単に教師という役目からくる責任感だけではない。それは明らかに嫉妬心だ。自分がどれほど努力しても手に入れられない天才的頭脳を持っているくせに、それを気にもとめない者への嫉妬。だが、そんなふうにウィルに苛立ちをぶつける教授を、映画は決して悪者としては描かない。彼が実直な教師であり、心から数学を愛していることを、私たちは知っている。
『グッド・ウィル・ハンティング』は、いわゆる教師と教え子の物語とは少し違う。それは、不遇の天才青年というウィルの特異性のせいでもあるし、また彼が孤独さを抱えたまま大人になった青年でもあるからだ。ウィルと出会った大人たちは、彼に何かを教えようとするが、一方で彼から大事な何かを教わることになる。ランボーが、才能を見いだしたはずのウィルに対して嫉妬し、自分の驕りに気づかされるように、ショーンもまたウィルとの出会いによって自分の人生を見つめ直す。はじめ、ショーンはカウンセラーとして青年をよい方向へ導こうとする。けれど強く反抗され、改めて彼に接してみようと決意する。ショーンは最愛の妻との出会いと、彼女を病気で失った悲しみをウィルに語ってきかせる。そうして青年の警戒心を解き、彼が自分のことを語り始めるのを辛抱強く待ち続ける。過去、彼に何が起き、そして何を怖がっているのか。ショーンは、人生を教える教師としてではなく、年長の友人として、ひとりの青年と真っ正面から向かい合う。ショーンがウィルにかける示唆に富んだ言葉の数々は、多くの人の胸を打つ。また、親友のチャッキー(ベン・アフレック)がウィルに向けて言う「俺は毎朝、お前の家のドアをノックしながら、お前が出てこなきゃいいなと思ってわくわくしてるんだ」という言葉も、ファンには有名な名台詞。そうして最後、ウィルは、ショーンの言葉を颯爽と盗んでみせる。それは、この映画の最高のシーンのひとつだ。
■「りんごは好きか?」
ちなみに、もうひとつりんごが登場するシーンがある。実際のりんごではなく、あくまで単語としての登場だけれど。ある夜、バーでチャッキーがハーバード大の女子学生を口説いていたところを、いけすかない男子学生たちに絡まれる。ハーバード大学生を装うチャッキーが本当は大学も行っていない無教養な男だと馬鹿にする学生たちに、仲間のウィルはくってかかる。得意の暗記力で、男子学生が引用する書物を次々に見抜いては、「で、次はどの本を引用するつもりだ?」と喝破してみせる。学生たちは、ウィルの知識の多さに怖じ気づき、すごすごと退散する。その後、別の店で飲んでいる男子学生を見つけたウィルは窓の外から大声で呼びかける。「Do you like apples?(りんごは好きか?)」。そうして先ほどの女子学生からもらった電話番号を見せつけながら「How do you like them apples?(このりんごは気に入ったか?)」と笑いながら叫ぶ。調べてみると、「How do you like them apples?」は「どうだ!」とか「やったぜ!」という意味になるようで、語源は第一次世界大戦で使われた「Toffee Apple Bomb」と呼ばれる砲弾に由来するというが、正確なところはわからない。ともかく、ウィルがその子の電話番号を勝ち取ったことを相手にひけらかしているのはたしかだ。
りんごを磨く人が「ごますり」になったり、「りんごは好きか?」という問いかけが「あの子の電話番号をもらったぞ!」なんて意味につながったり。英語になじみがない人間にとって、apple(りんご)をめぐる表現は、まだまだ奥が深い。
2019/4/19