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映画ライター・月永理絵の「りんごと映画、時々恋」
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食べ物としてだけではなく、たくさんの側面を持つ果実。物語の中に出てくるそれは、脇役でありながら観る人に強烈な印象を与える。スクリーンの中でもその存在感は変わらず、観る人を惹きつけるーーー。ここでは、映画ライターの月永理絵さんに、数ある映画の中からスポットを当てていただきます。是非、映画と共に観賞してみてください。

Vol.13 部屋に隠された3つのりんご


『抱擁のかけら』
『抱擁のかけら』

■ペドロ・アルモドバル映画の色彩

映画のなかのインテリアを見るのは楽しい。うっとりするほど豪華な部屋に見惚れたり、こんな家具が家にあったらいいのにと夢見たり。おしゃれな部屋にかぎらない。普段の生活では見ることのない住まいを見るだけでも十分楽しい。この地域ではこんなふうに家族で生活するんだな、と驚くこともあれば、時代も国も違うのに意外と自分の家と似ているな、と不思議な一致に感心することもある。

インテリアを楽しめる映画は数あれど、圧倒的におしゃれなインテリア映画といえば、スペインの映画監督ペドロ・アルモドバルの作品をあげたい。アルモドバルの映画は、『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999年)や『ボルベール〈帰郷〉』(2006年)など、毒々しくも情熱的な色彩が特徴的。まるでスペインの国旗のように、鮮やかな赤色と黄色が画面を覆い、そのなかで情熱的なドラマが繰り広げられる。

過去にも自身の過去をモチーフにすることが何度かあったアルモドバルだが、先日公開された新作『ペイン・アンド・グローリー』(2019年)は、まさに彼の自伝的映画だと言われている。主人公は、十分な名声と富を得た映画監督。心と体に癒されない痛みを抱えた彼は、その痛みと向き合うように、これまでの半生を振りかえり、自分を愛してくれた人、自分が愛した人のことを見つめ直す。この映画の見どころは、やはり主人公が住む部屋のインテリア。鮮やかな色彩と素晴らしいデザインに満ちたこの部屋は、アルモドバル監督の私物がおおいに使われたという。椅子もソファも照明も、壁に飾られた絵画も、すべてが圧倒的。まるで家のかたちをした美術館のようで、見ているだけで惚れ惚れしてしまう。

■『抱擁のかけら』の3つのりんご

『抱擁のかけら』
『抱擁のかけら』

アルモドバルといえば『抱擁のかけら』(2009年)のインテリアも忘れられない。この映画では何より赤色が多用される。ヒロイン役のペネロペ・クルスはたびたび赤い服を身につけ、真っ赤に塗られた唇で魅力的に笑みをこぼす。それは情熱的な愛の色にも見えるし、血を思わせる不吉な色と見ることもできる。さて、赤い色をした野菜といえばトマトがまず浮かぶが、果物ではりんご。実はこの映画には、3種類のりんごが登場する。ただし本物ではなくすべて偽物。3つともまったく異なる姿で登場するのだが、それぞれに強い印象を残してくれる。

『抱擁のかけら』の主人公は、『ペイン・アンド・グローリー』と同じく、年老いた映画監督だ。かつていくつかの作品を発表し名声を得た映画監督のマテオは、ある事故により失明し、今はハリーという名を名乗っている。不便な生活ではあるが、エージェントのジュディットと彼女の息子ディエゴにサポートされながら静かな日々を送っている。そんなある日、マテオ/ハリーのもとに、ライ・Xという名の謎の男が訪ねてくる。これを機に、かつてマテオ/ハリーの身に起きた痛ましい悲劇が徐々によみがえる。

14年前。マテオは、初めてのコメディ映画を手がけようとしていた。オーディションにやってきたのはレナという若い女。レナを見たジュディットの胸に、ふと不吉な予感が生じる。彼女はあまりに美しすぎるのだ。実際、レナを演じるペネロペ・クルスの美しさは異様なほどだ。彼女が振り向いた瞬間、画面全体にぱっと赤い火が灯る、そんな気さえした。案の定、マテオは一目でレナの虜になる。そしてレナの方もまた自分を女優として認めてくれたマテオに恋をする。だがふたりの間には大きな障害があった。レナの年上の愛人、エルネストだ。強大な富と権力を持つエルネストは、レナの弱みにつけこみ自分の愛人にすると、異常なほど彼女に惚れ込み金によって彼女を支配していた。一方女優としての夢をあきらめきれないレナは、マテオの映画で女優として華々しくデビューできることに歓喜する。女優として認められれば彼女は自分のもとから去っていくのではないか。そんな危機感から、エルネストは彼女への執着と監視の目をさらに強めていく。

■巨大なりんごの静物画と小ぶりなオブジェ

『抱擁のかけら』
『抱擁のかけら』

エルネストとレナが住むのは、いかにも権力者らしい豪勢な邸宅。天井が高く、広々とした室内には立派な家具がいくつも並び、壁には巨大な絵画が飾られている。だがふたりの関係に呼応するように、この家の雰囲気は、陰鬱でまったく温かみを感じられない。金のかかった容れ物はたくさんあるのに、その中には何も入っていないのだ。エルネストとレナが食事する場面では、大きな食卓テーブルの後ろに、これまた巨大な静物画がかけられている。描かれているのはくすんだ色のりんごが数個。人の顔よりも巨大なそのりんごは、どこか不吉で、恐ろしい雰囲気を醸し出す。

この冷徹な豪邸と正反対なのが、その後、エルネストのもとを逃げ出したレナとマテオが滞在するアパートメントホテルだ。彼らは、人目を避け、海辺のアパートでふたりだけのバカンスを過ごす。夜には、花柄のソファで親密そうに抱き合いながらテレビに映るロッセリーニの映画『イタリア旅行』(1953年)を見る。誰にも邪魔されない幸福な時間。でもふたりとも、このまま永遠に逃げ続けることはできないとどこかで予感している。目の前の幸せが期限つきのものであることへの恐怖。ソファの前のローテーブルには、飲み物を入れたカップや皿が並ぶ。少し離れた場所に、ちょこんと置かれた木製のりんごのオブジェ(あるいは蓋付きの容れ物かもしれない)も見える。それは、エルネストの家に置かれた巨大な静物画とは違い、とても小ぶりで簡素なものだ。でもだからこそよけいに、レナとマテオの親密さが伝わってくる。

ふたりの恋人たちの運命は、やがて悲劇へと導かれる。レナが主演したマテオの映画は、エルネストによってずたずたに切り裂かれてしまう。すべてを忘れるため、マテオはハリー・ケーンと名前を変え過去から逃れようともがき続ける。だが14年が経ち、彼はマテオに戻り、亡霊と再会する。

■真っ赤なりんごとレナの微笑み

マテオとレナの悲劇はどのようなかたちで幕を下ろすのか。その結末はここでは書かないけれど、最後、画面にもうひとつのりんごが映ることは記しておきたい。これまたカラフルな家のなかで、レナが座るソファの後ろに真っ赤な丸い物体が映っている。イタリアのアーティスト/家具デザイナーのエンツォ・マリによる、目の醒めるような赤いりんごの絵。その前には、やはり鮮やかな衣装に身を包んだレナがいる。彼女は、ふたりの男の間で苦悩していた悲劇のヒロインではない。まるで子どものように、溌剌とした笑顔を振りまいている。カラフルな部屋のなかで、悪戯っこのように何かをたくらんでいる。

『抱擁のかけら』に登場する3つのりんご。ひとつめは、冷め切った夫婦の後ろに佇む巨大な静物画として。もうひとつは愛し合う恋人たちの前に置かれた木製のオブジェとして。三つ目は、女優レナの後ろで太陽のように君臨する真っ赤なりんごの絵。それらはまるで異なる印象を残しながらも、常にレナという女性とともに映し出される。

3つのりんご、と書いたけれど、もしかするとまだまだ思わぬところにりんごの影が隠れているかもしれない。

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2020/10/29

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プロフィール

月永理絵

エディター&ライター。『映画酒場』『映画横丁』などの雑誌や、書籍の編集をしながら、ライターとしても活躍している。大学卒業後に小さな出版社で働く傍ら、映画好きが高じて映画評の執筆やパンフの編集などをするように。やがて会社を退職し、現在はフリーランスで活動中。青森市出身で、現在は東京都在住。

映画酒場編集室  http://eigasakaba.net/

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