Vol.19 クリスマスに贈られた一個のりんご
■1955年に撮られたアメリカ映画『狩人の夜』
誰かにりんごを贈ること。その意味するところは何だろう。以前このコラムで書いたように、アメリカでは、学校で生徒が先生に磨いたりんごを贈るのが伝統らしいが、ではクリスマスに贈られたりんごにはどんな意味があるのだろう?
りんごを贈るシーンが出てくるのは、1955年に撮られたアメリカ映画『狩人の夜』。デイヴィス・グラッブのベストセラー小説を、作家で映画評論家でもあったジェイムズ・エイジーが脚色し、俳優のチャールズ・ロートンが監督した。実はこの映画、公開当時は興行的にも批評的にも不評だったようで、そのせいか、チャールズ・ロートンにとってこれが最初で最後の監督作となってしまった。ちょうど映画がカラーへと移行し華やかな作品が人気を博していた50年代半ばのアメリカでは、貧しく陰惨な時代を背景にしたこのモノクロ映画は受け入れづらかったのかもしれない。とはいえこの映画にはハッとするような美しいシーンがいくつもあり、今見ると、前衛的な表現に驚かされる。驚かされる。結局映画はその後再評価を呼び、現在では多くの映画監督たちがこの「名作」からの影響を公言している。
映画の舞台は大恐慌時代のアメリカ。まず登場するのは、困窮する家族を救おうと強盗をし二人を殺した男が、子供たちの前で警官に逮捕される場面だ。男は裁判にかけられ絞首刑となるが、彼が盗んだ金は行方不明のまま。実は男は幼い息子ジャックと娘パールにだけ金の隠し場所を教え、決して誰にも教えず、いつか自分たちのために使うよう諭していた。そのことは男の妻ですら知らない。この大金をめぐって、遺された子供たちに大きな危機が忍び寄る。
■新しい「家族」と出会った幼い兄妹
死刑になった男が残した大金の行方。それに目をつけたのは、刑務所で彼と同房にいたパウエルという男だ。このパウエルという男がとにかく恐ろしい。演じるのは『過去を逃れて』(47)『エル・ドラド』(66)などに出演したロバート・ミッチャム。右手の指に「LOVE(愛)」、左手に「HATE(憎悪)」と刺青をした彼は、表向きは善良な伝道師を装っているが、実は未亡人を誘惑しては殺害し金を盗む、根っからの悪党だ。そんな彼が、ジャックとパールに近づくため、二人の母ウィルを誘惑する。夫を亡くしたウィルはまんまとパウエルの毒牙にかかり彼と再婚するが、ジャックだけは、彼の悪巧みに気づき、懸命に父との約束を守ろうとする。
幼いジャックにはパウエルが悪党であることがわかっているが、周囲の大人は彼の言うことなど信じない。実の母親ですら、息子より新しい夫を信じきっている。妹パールはあまりにも幼すぎて事態を理解できず、ジャックはたった一人でこの悪党に抵抗しなければいけない。そんなある日、ついにパウエルは本性を露わにし、ウィルに手をかけると兄妹に「金のありかを教えろ」とにじり寄る。あまりの怖さに大金を渡してしまいそうになった寸前、ジャックは機転をきかせパールを連れてどうにか逃げおおせる。
頼る人も行く場所もないまま、兄妹は小船にのって川を下っていく。疲れ果て小舟のなかで眠りにつく二人を拾ったのは、レイチェルという一人の女性。演じるのはサイレント映画時代から活躍した伝説の女優リリアン・ギッシュ。彼女は一見厳しい女性のようだが、身寄りのない子供たちを集め、畑仕事を手伝わせながら育てている立派な人だ。ジャックとパールもレイチェルの家で世話になることに。
■りんごが紡いだ信頼関係
パールはすぐに新しい「家族」に馴染むが、すでに大人に失望しきっているジャックは、そう簡単には心を開かない。一方のレイチェルも、実の息子との関係が悪化し、いまでは疎遠になっているらしい。要するにジャックもレイチェルも頑固で融通がきかない同士なのだ。そんな二人が少しずつ心を開くシーン、重要なアイテムとしてりんごが登場する。
ある夜、子供たちに聖書にまつわるお話を聞かせていたレイチェルは、一人だけ眠りにつこうとしないジャックに気付く。彼が何か大きな秘密を抱え苦しんでいることに、レイチェルは勘づいている。でも自分にも他人にも厳しい彼女は、子供に優しく接する方法がわからない。そこで彼女は相変わらず険しい顔でジャックに「りんごを持ってきなさい」と命令する。そうして渋々取りに行こうとする彼にこう語る。「私のぶんと、それから自分のぶんも取りなさい」。
ジャックがりんごを持ってくると、レイチェルは頼んだにもかかわらず手をつけようとはしない。代わりにジャックは自分のりんごにガブリと齧り付く。元からレイチェルの目的は、彼にりんごを食べさせることにあったのだろう。甘い果実に気を緩めたのか、ジャックは小さな声でレイチェルにさっきの話の続きをしてほしいとお願いし、さりげなく彼女の手に自分の手を重ねてみせる。レイチェルもまた優しい声で話の続きを教えてあげる。両親を失ったジャックが、初めて心を許せる大人に出会えた瞬間だ。レイチェルが彼にあげた小さなりんご。それは、豪華な食事と美味しそうなアップルパイを用意し、代わりに秘密を打ち明けるよう迫ったパウエルとは正反対だ。
■謎めいた魅力を持つ悪党パウエル
パウエルという男が何より恐ろしいのは、ただ凶暴だからではない。いつもかすかな笑みを浮かべる姿は柔和で穏やかそうに見える。だが実際には蛇のようなずる賢さを持ち、弱さを抱えた女性たちの心につけ入り利用する。どこか倒錯した雰囲気がまた女を惹きつける。人の恐怖心や孤独な心をすぐに見抜き、どうすれば人を自分の意のままに操れるのかをよくわかっている。この男のまとう不穏さが、映画全体に異様な緊迫感をもたらす。
決して金を諦めないパウエルは、レイチェルの家に住む思春期の少女をうまく利用し、ジャックとパールを見つけ出す。彼らの父親を名乗り引き取ろうと目論むが、レイチェルは騙されず、どうにかパウエルを追い返そうとする。日が落ち、暗くなるまでじっと家の外で待ち続けるパウエル。子供たちは、家の中に閉じこもりながらも、まるで蛇に睨まれた蛙のように恐怖と不安でかたまりつく。大事な子供たちを守ろうと、レイチェルは小さな体に銃を抱えると、力を振り絞りこの悪魔のような男と対峙する。
■クリスマスの日、贈り物を渡し合う
緊迫した一夜を過ごした後、ようやくパウエルは逮捕され、ジャックとパールに平穏な日々が戻ってくる。それなのにジャックの顔は浮かないまま。まだほんの子供だというのに、目の前で父親が逮捕され、たった一人で小さな妹と父との約束を守ろうと奮闘し続けてきたのだ。凄まじい恐怖を味わった彼は、簡単には無邪気な子供に戻れない。
やがてクリスマスになり、子供たちはおおはしゃぎ。ジャックも言葉には出さないが、初めて穏やかに過ごせるクリスマスを心待ちにしているようだ。だが女の子たちがレイチェルにも贈り物を用意していると知り、何も用意していないジャックは慌ててしまう。もちろんレイチェルは贈り物がなくたって構わないと言うだろうが、やはり自分も何かを贈りたい。そう思ったジャックは、隣の部屋で、そっとあるものを布に包み、みんなの後、レイチェルにそっと差し出してみせる。それは、いつか彼女と打ち解けるきっかけになった小さなりんご。レイチェルの顔にいまにも泣き出しそうな笑みが浮かぶ。
クリスマスに贈られたりんご。その意味は、ジャックとレイチェルにはよくわかっている。彼らはついに本当の家族になったのだ。
2021/11/25