Vol.26 彼女はりんごの皮を剥くのが上手いから
■転落死事件から始まる愛の物語『別れる決心』
りんごの皮を剥くのに上手い下手があるなんて、考えたことがなかった。それは、北国出身の私は子どもの頃からいつもりんごを食べていて、気づけば自分で剥くのが普通のことになっていたからかもしれない。大人になって北国以外の出身の人と果物の好き嫌いについて話していたとき、「りんごは食べるのは好きだけど、皮を剥くのが難しいからあまり食べない」と言うのを聞いて驚いてしまった。たしかに、知人にりんご切ってもらったとき、ぎこちない手つきで剥かれた皮がどれも分厚くて、下手だなあと思ったことがある。皮を一度も切らずに剥く必要はないけれど、皮に美味しい身がどっさりついてしまうのはもったいない。そういう人はたいてい、普段あまりりんごを食べない人だ。結局、剥くのが上手い下手とは、才能というより慣れの問題なのだ。
『オールド・ボーイ』(2003)や『お嬢さん』(2016)で知られる、パク・チャヌク監督の『別れる決心』(2022)は、りんごを剥くのが上手い女性の話だ。カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、韓国だけでなく日本でも大ヒットしたこの映画は、ある男の転落死事件を機に出会った男女の奇妙な愛の物語。岩山から転落した男の死体を調べるのは、韓国・釜山で働く優秀な刑事チャン・ヘジュン。ロッククライミングが趣味だったというキ・ドスの死は当初は事故死かと思われたが、彼の妻で中国人のソン・ソレの登場により、事態は急変する。夫の死を知っても涙ひとつこぼさず、ふと笑みさえ浮かべてみせたソン・ソレの存在が、ヘジュンの心に小さな疑念を植え付けたのだ。
■謎めいた女
取り調べにより、中国から密入国したソレが、外国人庁の職人だったキ・ドスと結婚後、家庭内暴力を受けていたことが明らかになる。しかも彼女は、中国である殺人事件に関わっていたらしい。テレビドラマで韓国語を学んだというソレの言葉はときに拙く、その曖昧さがよけいに不信感を駆り立てる。事件当日のアリバイが証明されてもなお疑いは晴れず、ヘジュンは彼女のあとを尾行し、日々の様子を監視しはじめる。
意外にも、ソレの日常はごく平凡なものだった。毎日のように訪問介護の仕事をこなす彼女は、訪問先の老人たちから慕われ、信頼されている。事件当日のアリバイの鍵を握る女性も、ソレは誰より信頼できる介護人だと証言する。家に帰ると、毎晩韓国のテレビドラマを見て眠りにつく。そんな彼女を見守るうち、ヘジュンの心には、いつしか疑念とは別の何かが生まれていく。
謎めいた女性ソレを演じるのは、『ラスト・コーション』(アン・リー、2007)や『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』(ビー・ガン、2018)への出演で知られる中国出身のタン・ウェイ。そしてソレを取り調べるヘジュン役は、かつて『殺人の追憶』(ポン・ジュノ、2003)で謎めいた容疑者として鮮烈な印象を残したパク・ヘイル。ソレは夫を殺した冷酷な殺人犯なのか、それとも夫に暴力を振るわれたすえにあらぬ疑いをかけられた哀れな女なのか。映画は、事件の真相を追うミステリーとして進みながら、ヘジュンとソレが互いを探り合いながら距離を縮めていくさまを、スリリングに描く。
■尾行と監視から始まる道ならぬ恋
ヘジュンには原子力発電所で働く妻がいるが、彼女の職場は釜山から離れたイポという街にあるため、ふだんは別居生活を送っている。週末婚のような状態ながら夫婦の仲は良好だが、ソレとの出会いは、順調と思えた結婚生活に徐々に影を落とし始める。
職業上の都合で追いかけ始めた女性に魅了され、道を踏み外す男。朝昼夜を問わず彼女を追跡し、仕事先や家での様子を監視するヘジュンは、さながら『めまい』(アルフレッド・ヒッチコック、1958)のジェームズ・スチュアートのよう。『めまい』は、ある事件を機に高所恐怖症となった元刑事の男が、知人の依頼で彼の美しい妻(キム・ノヴァク)を追跡するうち、彼女に魅了されていく物語。愛に溺れた男が、彼女を二度発見し、二度とも失うという構造も、『別れる決心』とよく似て見える。
ただし、『別れる決心』で高所恐怖症なのは、尾行する男のほうではなく追いかけられる女のほう。だから、彼女が岩山に登り絶壁から夫を突き落とすのは本来不可能なはずだ。一方のヘジュンは不眠症に悩んでいて、そのために夜の監視が得意なのだという。やがて親しくなっていったふたりは互いの抱える問題を共有し合い、ソレはある方法でヘジュンを安眠へと導くことになる。
■りんごの皮剥きが上手い人
妻を愛しながらも、謎の女に惹かれていく男。いかにもメロドラマらしい展開だが、おもしろいのは、ヘジュンのソレへの傾倒にいち早く反応するのが、彼の妻ではなく、部下である男性刑事のスワン(コ・ギョンピョ)であること。この後輩は、まるで恋人か妻であるかのように、いつもヘジュンを気にかけ、彼を魅了するソレに嫉妬心を募らせる。ある日、スワンはソレが週に何度か介護をする女性の家へ行き、彼女の面倒を見る。先輩を誘惑する女の正体をあばこうと猫撫で声で女性に話しかけるが、かえってくるのはソレを讃える言葉だけ。「いったい彼女のどこがそんなに好きなんですか?」不貞腐れたようにつぶやくスワンに、女性はこう答える。「あの子はりんごの皮を剥くのが上手いから」。彼女のそばには、スワンが向いた分厚いりんごの皮。その冷たい視線は、皮が剥くのが下手なあんたにソレの良さなどわかるものか、とでも言いたげだ。
なぜりんごの皮を剥くのが上手いと信頼できる人になるのか。その因果関係はわからないけれど、たしかにソレは、いつも手を上手に使って仕事をする人だ。介護人として主に老人たちの体を拭き、掃除をし、食事の用意をする。実はヘジュンもまた手先の器用な人だ。りんごを剥く場面は出てこないが、彼が料理をする様子は、劇中に何度も登場する。週末に会う妻のために鍋をつくり、魚をさばき、ソレと親しくなったあとは、彼女のためにチャーハンや餃子をつくったりもする。
手を使うことに慣れたふたりが惹かれ合ったのは、だから当然のことなのかもしれない。取調室で対話をするふたりの間には、徐々に刑事と被疑者という立場を超えた何かが生まれ、その関係は両者が一緒に手を動かすことによって進展する。差し入れの寿司(それが通常被疑者に出される食事よりずっと高価なものであることは、スワンによって指摘される)を一緒に食べたふたりは、息ぴったりの様子で空の容器を片付け、テーブルの掃除までテキパキとこなしていく。その様子を見ていると、きっとヘジュンもソレと同じように、りんごの皮剥きが上手い人なのだと思えてくる。そういえば、りんごではないが、ヘジュンは妻と一緒に大量の柘榴の皮を剥いていた。
■手と手が結んだ縁と、その結末
彼女の器用な手つきが依頼人の心を掴んだように、痛々しいマメがたくさんできたソレの手は、ヘジュンの心はさらに燃え上がらせる。「韓国の女性はもっと手がきれいでしょうね」と恥ずかしそうに隠そうとするソレの手を愛おしげに眺め、優しくハンドクリームを塗ってあげる。道ならぬ恋に燃えるふたりは、どれほど相手に恋焦がれようと、キスや抱擁といった恋人らしい行為を行わない。代わりに、手にハンドクリームを塗り、相手の荒れた唇にリップクリームを塗る。それが彼らの愛情表現なのだ。ただし、手にクリームを塗る、その行為の裏に隠された真実は、やがて驚くような形で明らかになる。
キ・ドスの転落死事件は、一旦は無事解決したかに見える。だが、ヘジュンとソレの関係は、巧妙な駆け引きを経て混乱の渦の中へと引き込まれていく。不審な死体は二体。はたして真実はどこにあるのか。ふたりの愛の結末はどこへ向かうのか。まったく先の見えない物語のなかで、ふたりの働き者の手がどんなふうに使われるのかにも、ぜひ注目してほしい。映画のなかで、彼らが実際にりんごの皮を剥いてくれることはない。その代わり、ふたりの手はさまざまなものに触れつづける。ときには誰かを守るために、あるいは死を呼び寄せるために。
監視行為から始まったかに見えたふたりの愛の物語は、もしかすると、手によって結ばれ、やはり手によって破滅させられた者たちの物語なのかもしれない。彼らの手が本当の意味で結ばれることは、果たしてあるのだろうか。
2024/4/5