Vol.20 女たちはおしゃべりをし、りんごを食べる
■韓国映画に登場するりんご
韓国映画にはよくりんごが登場する。しかもその大きさや食べ方は、日本の場合とよく似ている。アメリカやヨーロッパの映画で出てくるりんごはたいてい手のひらにすっぽりとおさまるサイズで、食べるときは皮からがぶりと齧り付き、ひとりでまるまると食べてしまう。でも韓国映画に出てくるりんごは、もっと大きく立派なもの。そのためか、ひとりで食べるより、皮を剥いて誰かと分け合って食べるシーンが多い気がする。
今年(2021年)の夏に日本でも公開された『サムジンカンパニー1995』(2020年、イ・ジョンピル監督)でも、物語の重要なアイテムとしてりんごが登場していた。1990年代、国際化が劇的に進む韓国を舞台にしたこの映画では、自分たちが勤める大会社が汚染水を垂れ流し周囲の土地に甚大な被害を与えていると知った女性社員たちが、正義のために立ち上がり、会社を告発する社会派ドラマ。
劇中では、彼女たちが工場による土壌汚染の実態に気づくきっかけとして、工場付近の農家で育てるりんごが登場する。「こんなものしかないけど」と農家の人が剥いてくれたりんごを見て、一度は会社に歯向かうことを諦めかけた主人公が改めて正義に目覚めるシーンだ。そもそもこの主人公はりんごが大好きな人として紹介される。りんごはやはり重要なアイテムなのだ。
■ホン・サンス監督『逃げた女』
もうひとつ、りんごが登場する韓国映画で大好きなのは、ホン・サンス監督の『逃げた女』(2020年)。『アバンチュールはパリで』(2008年)『自由が丘で』(2014年)をはじめ、男女の織りなす恋愛関係を、ユーモラスかつ辛辣に描いてきたホン・サンス監督。彼の映画では、ほとんどの場合派手な出来事は起こらず、会話によって淡々と進んでいく。登場するのは、男女を問わずみな恋愛にうつつを抜かす人ばかり。不倫や浮気をし、嘘をついたり苦しい言い訳をし、大声で泣き喚いたかと思えばけろっと立ち直る。ある意味で愚かな人々ばかりが登場し、恋愛をめぐってああだこうだと言い合いつづける。でもそのバカバカしさが妙に癖になる、それがホン・サンス映画の魅力だ。
ただし、新作『逃げた女』はこれまでとどこか趣が違う。ここ数年ずっとタッグを組んでいる女優キム・ミニを主演にしながらも、いつもの男女の恋愛模様は影を潜め、いつになく女性たちの関係に力が注がれている。物語自体はとてもシンプル。主人公のガミが、夫の出張中、ソウル郊外に住む女友達を訪ね歩き、ご飯を食べてはお互いの近況について語り合う。ただそれだけの話なのに、見ていてとにかく楽しい。こんなホン・サンス映画は初めてだ。
彼のつくる映画では、主人公の若い女性は年上の男と不倫をしていることが多いが、今回の主人公ガミは、幸せな結婚生活を送っている女性らしい。と言いつつ、物語が進むにつれ、徐々に彼女の過去や、周囲の人々の事情が見え始め、ただ和やかな話とは言い切れないとわかってくる。
■女3人で食べるバーベキューとりんご
ガミがまず訪ねたのは、郊外の一軒家に住む先輩ヨンスン。前夫と泥沼の離婚劇を繰り広げたヨンスンは、今は慰謝料で買ったこの家で年下のルームメイトと一緒に暮らしている。そんな先輩に、ガミは、自分は5年前に結婚した夫と一日たりとも離れたことがない、今回の出張が初めて夫婦バラバラに過ごす時間なのだと語り、驚かせる。夫が言うには「愛する人とは絶対に離れて過ごしてはいけない」という。言葉だけ聞くと、本当に仲のいい夫婦のように聞こえるが、あまりにも強い言葉すぎて、なんだか脅しのような言葉にも思えてくる。
やがてルームメイトのヨンジを交え、3人は庭でバーベキューをし、お酒をたっぷりと飲み、ほろ酔いでおしゃべりに興じる。ヨンスンは辛かった離婚について振り返り、今の生活に満足しているのだとしんみり語る。デザートはりんご。ヨンジが「私は何をするのも遅くて」と恥ずかしそうにしながら、丁寧に皮を剥き、食べやすい大きさに切ってくれる。おそらく二人よりも年下の彼女は、先輩たちに肉を焼き、りんごを剥くなど、かいがいしく振る舞ってくれる。3人がしゃりしゃりとりんごを食べる音が、おしゃべりの合間に聞こえ、その音を聞いているだけで何やら楽しくなってくる。
こうして楽しい時間を過ごす3人だが、そこに突然、隣人がやってくる。彼は一見礼儀正しい人のようだが、ヨンスンたちへのメッセージには何やら不穏な空気が漂う。何の問題もなく暮らしているかに見える女二人の生活も、必ずしも平和なだけとは言えないのだろう。
たっぷりと肉とりんごを食べたガミは、眠りにつき、翌朝、自分の家に戻っていく。
■二軒目の訪問先で見たもの
次にガミが訪ねたのは、これまた自分のマンションを買って一人の生活を楽しんでいる先輩スヨン。彼女は仕事でお金を稼ぎながら、気楽な生活を送っているようだ。今は恋人はいないが、実は気になっている人がいることを打ち明けるスヨン。ここでもガミは、先輩にご飯をご馳走になり、ワインを飲みながら「5年間夫と離れたことがない」という前回と全く同じ話を語り始める。
このあたりで、観客はおかしな気配に気づき始める。夫の話をするガミの様子には特におかしな点は見られない。本当に幸せな結婚生活を送っているように語り、スヨンも素直にそれを称賛する。けれど、なぜガミはこの話をくり返すのだろう?
そしてここでも思わぬ邪魔が入る。スヨンが酔った勢いで関係を持った、若い詩人の男が彼女のもとを訪ねてきたのだ。玄関先で「あれはただの間違いだ、もう二度とここには来ないで」と冷たく言い放つスヨンの様子を、ガミはモニター越しにじっと眺めている。どうやら順調に見えたスヨンの生活にも、どこか不穏な気配が漂っているようだ。
■最後に訪れた場所で食べるりんご
最後にガミが訪れたのは、映画館やカフェが併設されたカルチャーセンター。映画を見にきたガミは、ここで働く旧友ウジンと再会するのだが、これが偶然の再会なのかはよくわからない。理解できるのは、先の二人とは異なり、ウジンとガミとの間には、気まずい過去があるということだ。ぎこちなく挨拶を交わした二人は、やがて事務所で一緒に話し込む。いかにも仕事場らしい殺風景なデスクの上で、ウジンはいそいそとりんごの皮を剥き始める。「こういうの、苦手なんだけど」と照れ臭そうにする様子は、ヨンジとよく似ている。
やがて綺麗に剥かれたりんごを前に、旧友たちは過去のこと、今現在の生活について語り合う。ここでもまた、女たちのおしゃべりの声と一緒に、りんごを齧る音がしゃりしゃりと響いている。ガミは自分の言葉を噛みしめるように、夫との話をくり返す。「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」。何度もくり返されることで、言葉の裏にある何かが見えてくる気がする。そもそもガミの夫は本当に出張中なのだろうか? ガミはなぜこうして旧友たちを訪ね歩いているのだろう? もしかして彼女には別の目的があってここに来たのでは? そういえばこの映画のタイトル「逃げた女」とは誰のことなのか?
いくつもの謎を残したまま、映画はあっさりと幕を閉じる。ガミと夫との関係が実際はどういう状態なのかは、わからない。でも旧友たちとの再会を経たあと、ガミの顔がかすかに変わった気がする。この映画を通してたしかにわかるのは、女たちの気の置けないおしゃべりは、聞いているだけでただ楽しいということ。そしてそんなおしゃべりのお供には、ワインと、皮を剥いたりんごがよく似合うこと。映画を楽しむには、それだけで十分だ。
2021/12/23