Vol.23 青年はりんごを齧り、すべてを知る
■飲食シーンがたっぷり登場する『東京公園』
この映画にりんごが登場していたことを、約10年ぶりに見直して初めて気がついた。食べるシーンが多い映画なのはよく知っていた。肉まん、ケーキ、おでん、豆大福、そして赤ワインに焼酎。ここに登場する人々は、誰もがみなよく食べ、よく飲み、よく喋る。そういえば、口にするのは丸いものばかりだ。赤ワインと一緒に齧り付く大きな肉まん。クリームたっぷりのシュークリーム。豆大福。おでんには丸い卵と大根が入っていたような気がする。こうして主人公たちが楽しむ数々の食事のなかに、赤くて丸いりんごがふいに登場する。
青山真治監督の『東京公園』(2011)はふしぎな映画だ。三浦春馬演じるカメラマン志望の大学生、志田光司のまわりには、なんだか変わった人ばかりが集まり、彼を翻弄する。光司が暮らす古い一軒家には、高井ヒロ(染谷将太)というルームメイトがいるが、いつも家にいてばかりのヒロには何か秘密があるようだ。
そんな彼らのもとを、美味しそうな食べ物を片手に訪れるのが、ヒロの元恋人で、光司の幼馴染である富永美優(榮倉奈々)。美優は、光司がバイトをする店にもしょっちゅう顔を出し、最近ハマっているゾンビ映画についてひとしきり語ってみせたり、無理矢理一緒にビデオを見せたりする。それなのに、頑なにヒロと会おうとしないのはどういう理由からなのか。美優と同じように、光司の姉・美咲(小西真奈美)もバイト先を何度も訪れる。光司と美咲は両親が再婚して家族になった、いわゆる血のつながらない姉弟で、両親は伊豆大島に引っ越し、島暮らしを楽しんでいるらしい。
光司は、毎日のように公園を歩いては、そこで見かける家族の写真を撮り続けている。ある日、その様子に目をとめた歯科医の初島(髙橋洋)から、「ある子連れの女性を尾行し、写真を撮ってほしい」と頼まれる。どうやらそれは彼の妻・百合香(井川遥)と幼い娘で、ふたりは毎日異なる公園を散歩しているという。夫はなぜその様子を尾行しろと命じるのか。なぜただのカメラマン志望の自分にそんな依頼をするのか。戸惑いながらも、光司はその謎めいた依頼を引き受けることに。
■驚いてばかりの青年、光司
にわか探偵に就任した光司は、毎日いろんな公園を歩きまわる。百合香が夫と別の男性と会う気配はまったくない。ただ娘とふたり、楽しそうに散歩をするだけ。でも、なぜ毎日違う公園を訪れるのか、その場所に何か理由があるのかはわからない。光司は、彼女の写真を撮りながら、木の陰で赤いりんごを丸ごとかじる。新人探偵は、慣れない尾行と撮影でおなかが空いてしまったようだ。
光司という青年は、とにかくいつも驚いてばかりいる。急な探偵仕事の依頼に「なんで自分がそんなことを?」とびっくりし、美優の自由奔放さに毎回呆気に取られ、百合香に尾行を気づかれそうになっては慌てて身を隠す。さらに彼は、自分が気づいていなかったいくつもの新事実を知らされ、何度も驚くことになる。
彼が知らされた新事実。それは、美咲がずっと自分のことを好きだったこと。そして彼もまた知らぬ間に姉を愛していたこと。血縁関係がないとはいえ、ふたりはあくまで姉と弟。その想いは互いの心の奥底にしまい込まれ、光司本人ですら自覚していなかったようだ。秘めた想いに気づかせてくれたのは美優だ。さらに美優は、なぜ光司が百合香の尾行を引き受けたのか、その理由についても鋭い指摘をし、彼をハッとさせる。
■知恵の実=りんごによって知った真実
「やっぱ全然わかってなかったかあ」と呆れながら、美優は光司と美咲の想いを、どうにか実らせようと画策する。一方、そんな彼女もまた、心の奥底で、元カレと幼馴染との間で複雑な思いを抱えている。光司は、美咲と美優、そして百合香という3人の女性たちの間を、おたおたと行ったりきたりしながら、自分の気持ちがどこを向いているのか、考え込む。
ぼんやりとした青年の顔が、徐々に険しくなり、やがて落ち着きを見せていく。たくさんのものを食べ、飲み、話を聞きながら、彼は成長する。そういえば、その果実を口にしたアダムとイヴが善悪の知識を得たように、りんごは知恵の実の象徴だ。もしかすると光司もまた、公園でりんごを食べたことでそれまで気づかなかった真実に気づいてしまったのかもしれない。無邪気に他人の家族を見つめ、写真を撮ってきた青年が、りんごによって世界の複雑さに気づいてしまった、というわけだ。そう考えてみれば、ほんのわずかな登場シーンではあっても、これは立派なりんご映画と言えそうだ。
■カメラを通して、ふたりはまっすぐに見つめあう
美咲がどんなふうに自分を見つめてきたか。美優の、自分を見る目はどう変わってきたのか。彼女たちの視線の正体に気づいた光司は、では自分はどう応えるべきかを、初めて考えはじめる。そうして、まずは美咲をまっすぐに見つめてみようと決意する。その手段はもちろんカメラ。それは、彼のもうひとつの目だ。
女性たちと正面から対峙する光司を、映画のカメラもまたまっすぐに見つめつづける。光司と美咲が視線をぶつけあう長い長いワンシーンは、まるで西部劇の決闘のようだ。自分のすべてを賭けて視線をぶつけあうふたりを前に、相手を見るとはこれほど難しく過酷なことなのかと、驚かされる。真剣勝負を終えたふたりの顔には、晴々とした表情が浮かんでいる。たとえその結末がどんなものであろうと、ふたりはもう自分の想いに苦しむことはないだろう。
東京に実在するたくさんの公園を歩き、カメラを構えながら、光司は複雑な世界の仕組みを徐々に理解していく。散歩する百合香が何を見つめているのかも、やがてわかるだろう。そして美咲、美優との関係もたしかに変わっていく。ひとりの青年が、知らぬ間に向けられていた視線に初めて気づき、その視線と対峙するまで。彼らが行きつく先には、光射す場所が待っている。
2022/6/30