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vol.7 りんご産地に、うまい酒あり

長期予想では暖冬といわれても、花壇に霜柱が立ち、水たまりの縁が白く張り付いているのを見ると、ああ、いよいよ冬がやってくる、と身が引き締まります。産直やスーパーの店頭が、津軽りんごの王様「ふじ」で埋め尽くされると、実りの秋が終わりを告げるとともに、人々は年の瀬を迎える支度に入ります。

つがる
今秋は本当にたくさんの地元の方からりんごをいただきました
※写真はつがるです

りんごの一大産地である津軽平野は、青森県西部に位置し、岩木川流域一帯を占める沖積平野です。世界遺産である白神山地と岩木山の恵みによって形成されているので、その土壌から生まれる農産物はどれも一級品ばかり。りんごのほかに、スイカやメロン、ブドウなどの果物、小麦や大豆の生産や、畜産も盛んです。

そして、なんといってもお米! 昨年発売された特A米『青天の霹靂』の話題は記憶に新しいところです。小粒でもっちり甘い『つがるロマン』も全国的に有名ですね。 おいしいお米の育つところでは、当然おいしいお酒がつくられます。 ことしは、家族で初めて、酒米の田植えと稲刈りにチャレンジしました。 私の実家ではお米を作っているので、幼いころから恒例行事でしたが、西日本の商売人の家に生まれた夫は生きた稲に触れたことがなく、むろん息子も初の体験となりました。

今回お世話になったのは、弘前を代表する銘酒『豊盃』の田んぼです。 田植え当日は曇り空が広がっていましたが、豊盃を醸す株式会社三浦酒造の関係者の方々や、取扱酒店である柳田商店の柳田社長のお声掛けによって、たくさんの有志が集まりました。

久しぶりに触れる、新緑の苗の柔らかさに胸が躍ります。束から2、3、つまみ取り、土に沈めると、お日さまに温められた泥の奥に、ひんやりと広がる粘土の心地良さ。指先で根が立ったのを確認して、また次の苗へ。 足が泥につかまって、抜き差しにふらつく様子に一喜一憂したり、顔やおしりに土がついて笑い合ったり、大人も子どもも大はしゃぎでした。

「豊盃米」の苗
「豊盃米」の苗。酒米の苗に触れるのは初めてです

大はりきりの田植え
曇り空でしたが、大人も子どもも大はりきり!
手で植えた分、愛情もひとしおです

区切り線

秋になり、あっという間に刈り取りの日がやってきましたが、この日は文句なしの快晴。 一人一人に新品の鎌が与えられ、刈り方を指導されます。指導の方の話によると、稲をつかむときは、小指を上にした、逆さまの手にしてはいけないのだとか。コップをつかむように根元を握ってから、鎌をひく。これは知らない人も多かったようで、会場にほうっと感心のため息が漏れました。

刃に気を付けながら、ざっくざっく、ざっくざっく。

青天にそそり立つ美しい岩木山の峰に顔を上げることもなく、金色の稲穂の海に身を沈めて、夢中で這います。春にはたっぷりの水で歩くのすらままならなかった地面が、すっかり乾いて、たわわに実った稲をやさしく支えるクッションとなっていました。いつの間にか、稲を刈る人、刈った稲をまとめる人、まとめた稲を運ぶ人、脱穀機にかける人と、役割が出来上がっていて、みるみる作業が進んでいきます。

手狩りに参加した子どもたちも、大型コンバインの登場に歓声を上げたり、そこら中を跳ね回るバッタを追いかけたり、トンボを捕まえたり、それはもう大喜びでした。 雨水のたまったバスタブくらいの容器に、足の生えたオタマジャクシが大量に泳いでいるのを見つけたときには、子どもだけでなく大人も絶叫していましたよ。

幼いとき、兄弟やいとこたちとこうやって遊んだなぁ、と懐かしさが込み上げました。田植えのときには、長靴のまま水路に入ってタニシを捕まえたり、あぜ道に咲くシロツメクサをかんむりにして、葉っぱの船に乗せて、川に流したりしました。 稲刈りのときには、稲木に縄をU字に結んでもらって、ブランコ遊びをするのがお決まりでした。後ろにひっくり返っても、地面が柔らかいのでけがはしませんし、路上のように車が走ってくる危険もないので、農作業をする大人にとっては好都合だったのでしょうね。何もないのに、子どもたちを田んぼに放っておけば、勝手にくたくたになるまで遊んでくれるのですから。

豊盃米つくり隊
田園の真ん中に立つ幟を目印に、再度「豊盃米つくり隊」が集結しました

ゆれる稲穂と岩木山
ゆれる稲穂と岩木山。
今も変わらない津軽の原風景です

区切り線

今回はもう一つ貴重な体験をしました。田植えのあとに、炊いた酒米を食べさせていただいたのです。

用途が違いますから、食味としては普段食べているお米のほうがおいしく感じます。炊き上がりはふわりとしているのですが、粘り気はなく、少しパサついた印象でした。田植え参加者による懇親会では、主催者の依頼を受けて、夫が前年とれた酒米ですしをにぎったのですが、水分量の変化が激しく、すし酢を和えた直後となじませたあとの短時間でも、味、食感、手触りが異なりました。普段扱わないお米の特性を知ることができ、勉強になりました。

さらに、非売品の限定豊盃がふるまわれたこともあり、酒米をご飯とお酒で食べ比べるという、ほかではできない経験ができました。今年度の参加者は本当にラッキーでしたね。

そういえば、子どものころ、田んぼで食べるおにぎりは遠足のときくらいおいしかったです。祖父がなぜか菓子パンをたくさん買ってくることや、そのときだけ食べられる小さいカップラーメンが特別に感じたことも、もうずっと頭の奥に隠れていた楽しい食の思い出です。

参加者に振舞われた豊盃米のすし
参加者に振舞われた豊盃米のすし。
すし屋としても新たな挑戦でした

豊盃で乾杯
お疲れさまの一杯は、もちろん豊盃で。
お子さまは仕込み水で乾杯!

貴重なご褒美
泥まみれになってがんばった大人にはご褒美が。
貴重なお酒に一同舌鼓を打ちました

区切り線

気が付けば、夕暮れが早くなり、外を降る雨が雪に変わろうとしています。舞う雪に、往年の名曲『津軽平野』が思い出されるということは、私もだいぶこの地になじんできた証拠でしょうか。

津軽平野に 雪降る頃はヨー

親父ひとりで 出稼ぎ仕度

歌い手の千昌夫さんは、私のふるさと岩手県のご出身ですが、青森県に住んでいると、作詞・作曲をした吉幾三さんの声で沸き聞こえてくるから不思議です。味のある声が、歌詞と相まって心に染み入ってきます。夏には「ヤッテマーレ! ヤッテマーレ!」のかけ声が勇ましい『立佞武多』で盛り上がりますが、冷え込みが増すと『雪国』や『酒よ』が流れ、吉さんの歌のすばらしさにじわじわ魅了されます。

この魅力、20代ではわからなかったなぁと、間接的に気づかされるアラフォーに、手にする豊盃がすすみます。これから迎える40代にはどんな発見やワクワクが待っているのかなと思う半面、残りわずかな30代を思い残すことなく楽しみつくしてやろうと、師走のとある日に、一人来年の目標を立てるのでした。

2016/12/16

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プロフィール

上原 香織

盛岡市生まれ。土手町「鮨たむら」女将。出版社、広告代理店勤務を経て、フリーライターとして活動。結婚、夫の転勤を機に弘前市に転居する。現在は夫婦ですし店を切り盛りしながら、青森のおいしいものを探索中。趣味は観光と登山。一児の母。
「鮨たむら」の店舗情報http://www.seijiro.jp/sushitamura/index.html

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