vol.3 宵祭りはディープな津軽路
弘前に転居してきた初めての夏、同僚たちが一枚の紙に頭を寄せ合い、どこにしようか、ここは外せない、などと相談している姿を目にしました。どうしましたか、と尋ねる私に「上原さん、弘前に来たらヨミヤに行かないといけませんよ」というのです。
津軽地方では、神社などの大祭前夜祭に行われる宵宮(よいみや)を“ヨミヤ”と呼び、多くの人が足を運びます。居住地付近の神社に参拝するのはもちろんのこと、先述のように、観光コンベンション協会が発表する『宵宮祭典出店日程表』を見ながら、一円で行われる宵宮の各出店の数をチェックしたり、複数個所巡ったりして違いを楽しみます。
露店が100件以上並んで、大規模な神事を行うものから、幟(のぼり)を立てて拝殿を公開する程度のものまでありますが、どこも参道が埋まるほどの盛況ぶりです。
自宅でもヨミヤは続きます。軒先や駐車場でバーベキューをしながら、家族や友人同士が集って酒盛りに興ずる様子を本当によく見かけます。夕刻に、炭をおこしている家が何軒かあると、「あ、今日はこの辺りでヨミヤだな」と気が付くようになりました。お弁当屋さんのオードブルや出前のおすしなどが売れるのも、この日だそうです。
我が家でも、夏が近づくにつれ、そろそろヨミヤだね、という会話が出るようになりました。
ヨミヤの楽しみは何といっても屋台!
中でも、あこがれはりんご飴!
りんご飴といえば、屋台で食べるおやつの代表格です。りんご名産地のりんご飴なのだから、おいしいに違いありません。
なぜ、あこがれかというと、昨年もその前の年も、買うことができなかったからです。売り切れだったのではなくて、お店自体が出ていないのです。
ことしは、市内で最も多くの出店が並ぶことでも有名な最勝院・八坂神社(弘前市大字銅屋町)まで足を延ばしましたが、結果は玉砕。絶品があるだろうと勇んで繰り出しましたが、出合えず残念でした。
どうも、盛夏に良質な小玉りんごが手に入りにくいようです。
あつあつに熱した飴でくるむと表面にちょっとだけ火が通って、生のりんごとは食感が変わります。パリパリの飴と爽やかな果汁が混ざって、ちょうどよい甘味が口の中で踊ります。飴と果肉のバランスを考えると、やはり小玉でなくでは、という気がしますね。
海外では、キャラメルなどのフレーバーや、チョコレートやナッツをトッピングしたものもあるようですが、私はお砂糖と水だけで作るシンプルなものが好きです。果物でもない。洋菓子でも、和菓子でもない。割り箸に刺さった“ぜいたくな駄菓子”感覚こそが、胸の隅に残る童心をつかみます。
う~ん。収穫期だけでなく、夏の夜道をそぞろ歩きながら、あのピカリと光る飴玉にかぶりつくことができたら、どんなに素敵でしょう。どなたか、ヨミヤで食べられるりんご飴をご存知ならご一報ください。
りんご飴にこだわらずとも、津軽ならではの屋台はほかにもたくさんあり、歩いて回るだけでもうきうきとした気分になります。
激甘ソースが衝撃的な「亀屋のたこのつぼ焼き」や、円柱型の景品台が回転する「山田の射的」。青いリヤカーが目印の「藤田アイス店のカランカランアイス」など、昭和の縁日にタイムスリップしたような光景が広がります。
弘前を訪れる方が住民目線で満喫するなら、断然ヨミヤ散策をおすすめします。
現代ではなかなか見ることができないノスタルジックな風景の向こうに、津軽で生きる人々の文化や風俗を垣間見ることができます。
ヨミヤの盛んな時期は農繁期と重なりますし、ねぷたの製作も佳境を迎えます。どこの家でも多用ですが、その流れに逆らうように、短い夏をわずかも漏らさず楽しもうという心意気が感じられます。
子どもたちの遊戯場としてだけでなく、すべての世代にとっての社交場であり、娯楽であり、いやしであるように私の目には映ります。親の時代を子へ、孫へ。そのままのかたちで伝えてきた地域の思いが、夏のワンシーンをいっそう眩しく輝かせています。
早くはりんごの花が満開になる5月を皮切りに、早生種が出始める9月まで広く行われています。難しいしきたりや知識はいりません。ただ、日暮れ時に聞こえてくる祭りの喧騒に誘われればいいのです。
きっと、過去の自分が過ごした夏を思い浮かべることでしょう。
2015/9/3