第98号 首都ストックホルムで家族との楽しいひと時
10月の中旬頃からヨーロッパ大陸では、再度新型コロナウイルスの感染者が大幅に増え、第2波とも言われています。人々にとってはまだ夏の思い出が残り少し気を緩めていた時で、再度パンデミックの到来と恐ろしさに怯えています。当国スウェーデンでは大陸より2、3週間程遅れ、11月の始め頃からコロナの感染者が再度うなぎ登りに増え出しました。ここ数日間は毎日5~6千人の感染者で、更に死亡者も日々40人を超えました。11月13日の首相によるテレビ実況放送ではレストランやバー等のアルコールの販売は夜10時以降は禁止、さらに翌日のテレビ実況放送では緊急対策として、6人以上の集会は控える様にと注意されました。今更ながら、この春から初夏のバンデミックの恐ろしさが思い返され国民は恐れつつあります。
そんなパンデミックの第2波がスウェーデンを襲う寸前の10月中旬、我々夫婦は長男、長女が住んでいる首都ストックホルムへと週末金曜日から日曜日まで行って来ました。内心ではパンデミックの再発はまだ大丈夫だろうと楽観し、ウキウキした気持ちで、むしろ首都に住む孫達との再会を楽しみに秋の休暇を、更に12月に控えたクリスマスの計画も兼ねて首都へ車を走らせたわけです。昨年のクリスマスは長女の所で祝ったので、今年はじいちゃん、ばあちゃんの住む田舎のマルカリドで祝おう、ただし交通が混むのでクリスマスイブの12月24日は避け21日の月曜日に祝おうとも話し合いました。4人のチビ達へのクリスマスプレゼントはどうしようかなどと、楽しく話し合いました。
翌日土曜日の昼頃、ストックホルムの中心街へと行ってみたら、意外と人々の姿が少なく、アレっとも思ったのですが、長男いわく「都会人は週末の土曜日、午前中は眠っていますよ…」との話しで余り気にもとめませんでした。
都心で家内と一旦別れ、私はノーベル授賞式が行われるコンサートホールの広場へ行きました。何かガランとした感じで、地下の市場に降りて行ってもまばらにしか人々は見られず、都会はスタートが遅いのかとも思いました。
午後の1時過ぎ頃からは人々も少しずつ増え、お腹も空いてきたのでカルチャーハウス(文化館)の5階のカフェへと行きました。ストックホルムのほぼ中心にあるカルチャーハウスは、かつて筆者が初めてスウェーデンを訪れた1970年代の初め頃には、国会議事堂が改修中だったために仮の国会議事堂として使われていました。
そんな5階のカフェからの眺めは、眼下にモザイク模様の半地下の広場が見られ、また、周りにはデパートや銀行、大型商店が建ち並び、今更ながら田舎とは違うと思いました。カフェでクリームのたっぷり盛り上がったアップルパイを食べ、コーヒーを飲みながら、買ったばかりの社会問題の本を読み出しました。天気は良く、眼下に都会の風景、そろそろコーヒーのお代わりでもしようかとボンヤリ思っていたら、「パパ何読んでるの」との声がして家内と共に長男とガールフレンドが現れました。天気の良い午後のひと時、ランチでも食べようか、それとも買い物でもしようかと話し合い、皆でカフェを出ました。
既に午後の2時過ぎ、歩道には人々が増え4人でゆっくり中心街を歩きました。長男達はつい1、2週間程前に中心部近くにアパートを購入したとの話で、引っ越しは1月だけど、カルチャーハウスから1、2キロ程の距離だからと見に行こうと話し、歩き出しました。青い色のコンサート広場を通り過ぎ、中央駅が近くに見える中央労働組合本部の建物の前を通って、かつて作家の芥川龍之介も読んだという、スウェーデンの大作家ストリンベルグの像がある公園を抜け、19世紀頃の建物が目立つ一角に来ました。周りはほとんどが5、6階建てのがっしりした建物群で、長男が「あそこだよ…」と指差した建物は購入費がかなりしたのではと、家内とため息を漏らしました。首都に住んでいる長女家族の家と共に、長男の新アパートの値段も我々が住んでいる田舎の家の10倍近い値段なので、ここでも都会と田舎の差を感じました。「この次来た時はアパート内が見られるね」と家内と話し合い、若者達の元気な笑顔を見て我々も心が弾みました。
夕方は長女の家で、中部スウェーデンに住んでいる末娘も参加し餃子料理を食べました。家内と長女は菜食主義者なので野菜餃子、我々は3歳のチビと共に肉入りの餃子を食べ、美味しい赤ワインを2本、更にビールを飲みすっかりご機嫌になりました。翌日の日曜日も天気は良く、楽しかった週末の思い出を胸一杯にパンデミックなどすっかり忘れ、お昼に首都ストックホルムを出発、一路マルカリドへと500キロの高速道路を南下しました。
2020年11月30日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰