第56号 40年ぶりにポーランドへ
6月上旬に2,3日ポーランドへ訪れてきました。昨年秋の総選挙後、県代表として南バルチック海委員会委員に選ばれたので、スウェーデン代表の人々と、デンマーク、ドイツ及びリトアニアの委員、事務員たちと会ってきたのです。ポーランド訪問は1970年代に行ったのが最後だったので、40年ぶりの訪問でした。当時はまだ、東ヨーロッパの共産国のうちの1国として終戦の跡が所々に残っており、いかにもみすぼらしいと感じました。当時ポーランドでは、外貨のドイツマルやアメリカドルが貴重で人々に喜ばれ、西ヨーロッパからのこのこ来た貧乏な学生だった私は、闇で両替し金持ちになった、大金を受け取ったと感じたのを覚えています。もっとも、当時はデパートや店は少なく、買う物も少なかったのですが…。
そんな思い出のあるポーランドへ、今回は旅行者でなく、県の代表・EUの補助金調査委員として訪問しました。あの当時は英語を話せる人がほとんどいなくて、片言のドイツ語で話し合ったのを思い出します。また、町の通りにはソ連の箱型の車、ボルガやモスコビッチが目立っていて、西ヨーロッパとは全く違うと思いました。
ところが今回訪れてみたら、人々の服装や、通りにドイツ・フランス・スウェーデン・イタリア等の新車が目立つこと、そして特に、女性の多くが化粧をしていることなど、西ヨーロッパと変わらないと思いました。そしてそれ以上に、若者をはじめとする多くの人々が英語で流暢に話しているのに驚かされました。EUの会議はもちろん英語でしたが、町に出て、買い物やレストラン等での会話にも英語が通じたのには、以前の思い出があっただけにちょっと驚かされたというのが本音です。
ポーランドはここ4,5年、EU圏で経済成長がトップだとも言われていたので、消費力がここ数年でとても上がったのでしょう。会議後の夕方、ドイツからそんなに離れていない、バルト海よりの会議場の町・人口40万人のシュチェチン(SZCZECIN)を歩き回ってみました。
ソ連、東欧を思わせる巨大な建物。幅広い道路が未だ目立ち、それでも繁華街というのか、消費者向けの多くの店があちらこちらに立ち並び、アメリカのマクドナルドやコーヒー店ストラスブルグ、スポーツ店のナイキやアディダス等も目に付きました。大きなスーパーに入ると、そこには食料品・飲料品・衛生用品や美容品がぎっしりと詰まっていて、かつて東ヨーロッパ時代では品物がほとんど無く、人々が行列を作って買い物をしていたのがうそのように感じました。果物売り場では、スウェーデンに比べて大きなりんごが盛り上がっていて、販売はスウェーデンと同じく、バラ売りでした。
ぶらぶら歩きながら通りにあったパッブ(軽食店)に入り、まずはビールを飲みました。ビールの名前はティースキー(TYSKIE)とスウェーデン語でのドイツ(Tyskland)から来てるのかな…。とも思いました。ちょっと赤みのビールの味はとてもよく、ついもう一本頼んでしまいました。
食事では肉料理やキャベツの漬物(温かいサワーキャベツ)が目立ち、料理の量が多く食べ物が皿いっぱいに出てくるので、とても食べきれないと思った次第です。餃子に似た大きなピエロギ(PIEROGI)を蒸かしたものを2,3個注文して食べましたが、食べたときにはそんなにボリュームがないと思ったのに、お腹の中で膨れたのか、ホテルへの帰り道は食べ過ぎた時のようにふーふーとしてしまいました。
スウェーデンへの帰りは、フェリーで8時間ほどの船旅。とても静かで、気持ちのよい船旅でした。
2015年6月30日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰