第53号 歴史漂う県庁所在地ヴェクフェ
私の住んでいるマルカリド市は南スウェーデンのクロノベルグ県(Kronobergs lan)に所属し、スウェーデン全国には21の県(Lan)があります。クロノベルグ県は当市も含め8つの市があり、県全体の人口は約19万人ですから、人口では当県が弘前市位の大きさでしょうか?もっともスウェーデンの総人口が1千万人弱ですから、国の大きさに比べ人口は少ないと言えるでしょう。県庁所在地はヴェクフェ市(Vaxjo)、当地から車で約110キロ程北東へ向かった所にあります。今回はヴェクフェについて書いてみます。
ヴェクフェ市は近年では大学街(リンネ大学)としても栄えていますが、歴史的には古く、1170年には既にスウェーデン最初のカトリック司教がヴェクフェに赴任されました。1100年代と言えば北欧はバイキング時代の終わり頃で、キリスト教が広まりつつある時でした。中世のヴェクフェは、他のスウェーデンの町々と同じく、小柄な市場町として物の取引きが行われて発展してきました。1400年代には、クロノベルグ城が町の外れに建てられました。 当時はまだデンマークが強国で、南スウェーデンはデンマーク領、当地マルカリドがデンマークとの国境の町でした。
後日ヴェクフェは県の中心地として、城を中心に軍隊が置かれてデンマークへの防衛拠点となりました。ヴェクフェ市民はクロノベルグ城をスウェーデン初代国王のグスタブ・バーサ王(Gustav Vasa)の名前からバーサ城とも呼んでいます。バーサ王が活躍した1500年代、城は一時ニルス・ダッケ(Nils Dacke)率いる庶民軍に占領されました。更に16世紀後半にはデンマークに攻められ城は焼け落ち、17世紀始めに城は復興されたものの、現在では石垣が残っているだけです。
1800年代はヴェクフェを中心に、南スウェーデンのスモーランド地方からアメリカへ多くの人々が移民し、歴史的にもそのことは知られています。土地には石が多くて耕地としては貧しく、生活は大変だったのでしょう。ヴェクフェの人口は現在9万人近くでクロノベルグ県人口の約半分を占めていますが、人口が増えたのは1900年代の後半です。1960年始めですら、人口はまだ3万人位ほどしかありませんでした。
1900年代の後半に人口が増えたのは産業・企業の発展と共に、大学街として発展してきた事にもよるでしょう。現在のヴェクフェの大学は、 2010年に東海岸の町にあったカルマー(Kalmar)大学との合併によりリンネ総合大学(Linneuniversitet)と改名されました。植物学者リンネの名前です。現在約1万5千人の学生が勉学に励み、学生数では南スウェーデンのルンド総合大学、3万人の半分です。ヴェクフェ大学はルンド大学の分校としてスタートしたのが始まりです。余談ですが、筆者も1980年代終わりに一時経済学の勉強にと通った事がありますが、若々しい教師、又オープンな学風で、ルンド大学の歴史の重みとは違うと感じました。
ヴェクフェは県庁所在地の町で、県庁をこちらではレーンスティーレルセ(lansstyrelse)と言います。県庁はどちらかと言うと国の分身で、全職員数はヴェクフェ県庁で300人程度、ちなみにヴェクフェ市役所の職員数は約7,500人ですから、スウェーデンの県庁と市役所の大きさの違いが分かると思います。県庁所在地には、レシデンス(公邸)があって、国から任命された首長(Hovding)が住んでいます。
現在のクロノベルグ県の首長の名前は、クリスティーナ・アルセル(Kristina Alser)。筆者は年1、2回仕事等で会うのですが、中々カラッとした感じの良い女性です。公邸内はクリスタルや絵画で飾られ、ちょっとした現代の小城を思わせます。
2015年3月27日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰