第28号 ヴァルプルギスの夜
5月1日はメーデーの日、スウェーデンでは休日です。共産国でないスウェーデンが、メーデーを祝日として休みにしているのは、長年社会民主党が政権をとっていたからと思われます。ところでメーデーの前日4月30日は、ヴァルプルギスの夜(Valborgsmassoafton)、スウェーデンでは夕方、市の公園などでかがり火を焚き祝います。人々は長く暗かった冬から解放され、夕方公園に集まり、そこでかがり火が焚かれ薄暗い夜空を飾り春の到来を祝います。今回はヴァルプルギスの夜について書いてみましょう。
歴史的には、キリスト教が浸透する以前、バイキング時代、あるいはそれ以前から、春の到来を4月30日、5月1日頃に祝っていました。もっとも伝説によれば北欧神話の主神オーデン(Oden)がルーン文字の知識を得るために死んだ事によるとも言われています。ヴァルプルギスの夜、死者と生者が入り交じる時期、あるいは魔女がさまよう時期として、昔の人々はかがり火を焚いて死者の魂を追い払い、そして光と太陽が戻るメーデーの日、5月1日を祝ったのでしょう。
後日、5月1日をメーデー、労働者の日として共産国では祝う様になりました。スウェーデン語のヴァルプルギス、Valborg、とは聖女ワルプルガの名前から来ていますが、現在でも5月1日は、暦ではワルプルガの名前の日に当たり、クリスマスイブの様に前日の4月30日に祝います。この風習は北ヨーロッパ、スウェーデン、フィンランドと共に、バルティック諸国及びドイツ等に現在まで残っています。
スウェーデンの場合は、ヴァルプルギスの夜は町の公園や又湖畔で大きいかがり火を焚き祝います。もっとも現在では、死者と生者の入り交じりとか、魔女等の迷信的イメージは全く無く、長かった冬からの解放、又春の到来を祝福する為に人々は集まり共に歌ったりして、かがり火を囲みお互いの健康と共に春の到来を祝福しています。
ヴァルプルギスの夜(Valborgsmassoafton)の祝いで最も有名なのは大学町のルンドやウプサラです。そこでは夕方大学生達が大勢集まり、焚き火を囲み、学生達により春の到来を祝う大合唱が行われます。筆者もルンドの大学時代に1、2度、大学寮の学友達と公園までかがり火を見に行った事がありますが、寮でいい加減に飲み過ぎ、合唱団の見学より騒ぎ踊っていた様な気がします。何となく弘前の桜祭りと時期も同じで似ているかも知れませんね。家族、友人達と公園で食事会、飲み会…同じ様なものでしょうか?
今年のヴァルプルギスの夜はマルカリド市では、キャンプ場の湖畔で祝われました。参加者は3~400人と沢山集まりました。家族連れも多く、又会う人達と「こんにちは」と挨拶、もっとも当日は10度以下、その上風も少し吹いていて寒く、式場での合唱団や又挨拶以上に早く火を焚いてくれないかと、皆ガタガタ震えていた様でした。
今年の挨拶をしたのは例年の市長や名士と異なり、18歳の女子高校生、ヴィレモ・アスケミルさん(Villemo Askemyr)でした。若々しい元気いっぱいの彼女の挨拶は、町の歴史、習慣の説明から始まり、そして若者達の希望、未来への夢、終わりには、「春の到来おめでとう!ヴァルプルギスの夜万歳!!」でした。そのエネルギッシュな発言に元気付けられ、少しは暖かくなった頃、そして薄暗くなった時、いよいよかがり火が灯されました。炎が薄暗くなった夜空に高く舞い上って、ふともしかしたら本当に死者や魔女達の魂が踊っているのでは?と、その炎を見て感じました。翌日はメーデーの日、労働者達は更にデモンストレーションへの前夜祭を祝っていたのかもしれません。
2013年7月11日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰