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第27号 北欧発の推理小説家 スティーグ・ラーソン

映画、テレビではドラマと共にアクションや犯罪を扱った映像が喜ばれる様に、小説の世界でも推理小説が長年多くの読者に支持されてきました。北欧、スウェーデンの推理小説は1950年代頃から有名な推理作家が数人現れ、60年代後半からは、他の言語にも翻訳され、広く読まれる様になりました。今回はスウェーデンの推理小説、特に近年世界的に有名になり、またスウェーデン及びハリウッド両方で映画が製作された、「ミレニアム」の推理小説作家、スティーグ・ラーソン(Stieg Larsson)について書いてみましょう。

1960年代のスウェーデンの推理小説は、ちょっとユーモアの混じった主人公によるもので、庶民向け推理小説と言えるかもしれません。特に知名度の高いのは、マイ・フェバール(Maj Sjowall)とパール・ワロース(Per Wahloo)の夫婦により書かれた、主人公の刑事マーティン・ベック(Martin Beck)の連載で凄い人気を集めました。現在でも映画では007、ジェームスボンドが作者の死後数十年経っていながら新作品が製作されている様に、夫の作家、パール氏は既に亡くなり、連載推理小説もずっと以前に終わっていながら、近年でも、新しいテレビあるいは映画がマーティン・ベックの題名で製作され、多くの視聴者に喜ばれています。

その後、70年代から80年代そして現在まで活躍している推理作家では、スパイを扱ったヤン・ギロウ(Jan Guillous)及び警察官をあつかったヘニング・マンケル(Henning Mankell)とホーカン・ネッセール(Hakan Nesser)、この両者が世界的にも有名となりました。ヤン・ギロウはフランス人でスウェーデンの永住者。初期にジャーナリストとして活躍、国の軍事機密を暴き刑務所にも入った経験の持ち主で、現在は作家、評論家として広く活躍しています。

デンマーク首都のコペンハーゲン
デンマーク首都のコペンハーゲン

最近のスウェーデン推理小説家で、注目を集めているのは女性作家達です。若いスウェーデン女性が、迫力のある筆で、推理小説を書くのですから、読者も手に汗を握っているのではとも思います。アンナ・ホルト(Anna Holt) から始まりカミラ・レックベルグ (Camilla Lackberg)、 リサ・マークルンド (Liza Marklund)、そしてオーサ・ラーション (Asa Larsson)と、筆者は彼女らの推理小説はまだ読んでないものの、マスコミ、テレビに現れる彼女達の美しさに、迫力にはホトホトと言う所です。

そんな、現代の男性、女性推理作家の中で、世界中をとりこにしたのは、なんと言ってもスティーグ・ラーソン(Stieg Larsson)、「ミレニアム」シリーズ、3連載では無いかと思います。そのシリーズは1.「ドラゴン・タトゥーの女」、2.「火と戯れる女」、3.「眠れる女と狂卓の騎士」から成り立ち、スウェーデンでは映画化され、更にアメリカ・ハリウッドでも映画が製作されました。日本語にも翻訳され多くの読者を引きつけたのでは無いでしょうか…。筆者はあまり推理小説は読まないのですが、「ミレニアム」シリーズは3部作とも厚い本ながらスウェーデン語の原文にかじり付く様に一心に読みました。その文章以上にストーリーの迫力、スウェーデンの官庁機関も仔細に書かれ、政治家も読まずにはいられない…そんな感じでした。

ストックホルムの緑に囲まれたアパート住宅
ストックホルムの緑に囲まれたアパート住宅

スティーグ・ラーソンはジャーナリストとして初期活躍、反人種差別者としても知られていましたが、1995年には彼が編集長を務め、政治雑誌エキスポ (Expo)が 創刊されました。エキスポは特にスウェーデン超右翼党、スベリエ・デモクラティー(Sverige Demokrati)の党解明、暴露で知られ、現在でも小規模ながら活動が続けられています。

スティーグ・ラーソンがミレニアムシリーズを書き出したのが2002年との事。パートナーであり恋人のエバ・ガブリエルション(Eva Gabrielsson)、建築家と共に書かれ2004年には3連載作の出版社と契約。ところが、50歳の若さで突然心臓発作によりスティーグ・ラーソンは亡くなりました。残されたエバさんは長年同棲していたものの、結婚はしていなくまた子供もいなかったので、ラーソンの死後、「ミレニアム」シリーズ映画にもなった程の人気なだけに、膨大な収入、遺産の相続権でエバさんとラーソンの父との間で大変もめました。遺産については後日書いてみましょう…。

スウェーデン第三の都市、マルメの旧市街から
スウェーデン第三の都市、マルメの旧市街から

2013年5月30日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰

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プロフィール

工藤 信彰
Nobuaki Kudo

1949年弘前市生まれ。大学時代に3年程休学し、ヨーロッパを旅したことがきっかけで、大学卒業後スウェーデンに渡る。スウェーデンにてルンド工科大学を卒業し、一般企業へ就職するが、経済学を学ぶため退職しルンド大学経済学部へ入学する。卒業後は1990年~2015年までマルカリド市役所勤務。マルカリド市議会議員(2006年~2018年)を経て、現在は環境党マルカリド党首及び、クロノベリ県議会執行役員を務めている。

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