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第16号 ストックホルムの夏休み

スウェーデンの首都ストックホルムは北欧のベニスとも言われる程、水に囲まれた綺麗な都会です。人口は100万人を切りますが、近郊の町々を入れた大ストックホルム(ストックホルム圏)では人口が約200万人になります。スウェーデン代表の街として、多くの官庁、企業が集まり、また交通網の中心部とも言えるでしょう。夏場にはヨーロッパに限らず世界中の旅行者がストックホルムへと訪れて来ます。今回は夏のストックホルムの様子を書いてみましょう。

ストックホルムの様子

ストックホルムの町が築かれたのは西暦1200年代頃と言われています。メーラレン湖(Malaren)のバルト海への出口として、商業の取引、防衛の町として発展してきました。 スウェーデン王国初代の王様、グスタヴ・ヴァーサ(Gustav Vasa)がストックホルムへ入り、1523年6月6日、国王に君臨しました。1523年がスウェーデン国の建国年とも言えるでしょう。余談ですが6月6日は建国記念日、以前は労働日でしたが、15年程前から祭日、休日となりました。

首都ストックホルムまでは、私の住んでいるマルカリド市から500キロ、国道4号線を北上します。8月の始め、家内と一緒に、長女の住むストックホルムへとミュージックフェスティバル見学を兼ね、遊びに行って来ました。週末の土曜、日曜日はとても天気が良く、無料の高速道路は車の量もわりと少なくドライブを楽しみました。途中2度程車を停め休憩しました。ランチを食べ、コーヒーを飲み一休み。駐車場には国外の車が目立ち、ナンバープレートは、スウェーデンよりもドイツ、オランダ、デンマーク、ノルウェーのナンバーが目立ました。他の季節と異なり、夏はバケーション、旅行シーズン。ドイツ語の会話が聞こえてきて、ヨーロッパ中から北欧へと旅行者が移動しているのが感じられました。家族連れも目立ち、その車の中は荷物が一杯でした。

朝8時半にマルカリドを出て、午後1時半には首都ストックホルムへ到着。長女の住むアパートの近くに車を停め、とても暖かかったので半袖半ズボンに着替えました。地下鉄で、街の中心部、テーセントラル(T-Central)へ。テーの意味は、スウェーデン語の地下鉄(Tunnelbana)の略称、地下鉄中央駅です。田舎からノコノコ都会へ来た感じ、高層までは行かないまでも大きい建物、デパート、店、喫茶店、銀行等が目立つ中央駅付近、休日で軽装の人々であふれていました。

中央駅の自動改札
中央駅の自動改札

中央駅手前は噴水のある広場、まずは喫茶店でコーヒーを頼み、テラスに座って、のんびり街を歩く人々や街を眺めながら。家内と地図を広げ、夕方長女達との再会前の買い物と街見学の相談です。中央駅から400メートル程に、ノーベル賞授賞式で有名な青い建物の、コンサートホールがあります。そのホールの前が広場になっていて、そこは果物、花、観光品等の出店が集っていました。ホール入り口への広い階段には人々が座り、のどかにひなたぼっこをし、憩っていました。

広場から 奥に見えるのがコンサートホール
広場から 奥に見えるのがコンサートホール

中央駅から逆の方向、「古い街」ガムラスタン(Gamla stan)へ。川に囲まれた小さい島、「古い街」には王宮、国会議事堂などがあり、狭い昔の石畳の通りは観光客相手の店がぎっしり詰っていました。日本の城下町、下町とも似ています。中世のスウェーデンの街、歩き疲れ、「古い街」の端付近、川がバルト海へ流れゆく出口の所に沢山の路上パッブがあったので休憩、冷たいビールで喉を潤しました。

隣に座っていた夫婦はオランダ人、向かいはスウェーデン人。ほとんど満員で皆おのおのに夏休みを楽しんでいる様でした。

ガムラスタンの路上カフェ
ガムラスタンの路上カフェ

2012年8月28日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰

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プロフィール

工藤 信彰
Nobuaki Kudo

1949年弘前市生まれ。大学時代に3年程休学し、ヨーロッパを旅したことがきっかけで、大学卒業後スウェーデンに渡る。スウェーデンにてルンド工科大学を卒業し、一般企業へ就職するが、経済学を学ぶため退職しルンド大学経済学部へ入学する。卒業後は1990年~2015年までマルカリド市役所勤務。マルカリド市議会議員(2006年~2018年)を経て、現在は環境党マルカリド党首及び、クロノベリ県議会執行役員を務めている。

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