第7号 橋で繋がる隣国 デンマーク
1月中旬、スウェーデン第3の都市マルメ対岸のコペンハーゲンで、デンマーク日本人会の新年会があり、家内と一緒に出席してきましたので、今回はその時の様子を書いてみましょう。
デンマーク日本人会は、私の所属するスコーネ日本人会より歴史は浅いのですが、会員数は当会の約3倍、会員は若者が中心で、その中でも女性会員が多く活躍しています。ヨーロッパ大陸の日本人会、例えばロンドンやオランダなどの日本人会ではほとんどの会員が日本人なのに対し、スウェーデン及びデンマーク日本人会の会員は現地の方が多く、当スコーネ日本人会でも、会員の約三分の一はスウェーデン人です。会則も日本語とスウェーデン語で表記され、もし不一致があった場合はスウェーデン語会則を基準とすると記されています。
両国日本人会の間ではオレサンド橋が開通した2000年以降、毎年デンマークとスコーネの間で交互に新年会、餅つき会が行われています。今年の新年会はデンマーク日本人会の主催で、私は20年程スコーネ日本人会の会長を務めてきた縁で、今年の新年会に夫婦で招待されました。会場はコペンハーゲンから少し北上した郊外に近い民間の集会場で140人程の参加者で大変賑わっていました。会長のカズコ・マイヤーさんによる挨拶で開会し、きれいな折り紙が飾られたテーブル近くでは、あちらこちらで楽しそうな会話が聞こえてきます。
この新年会のメインは餅つきです。本物の臼と杵を使い、杵を振り下ろすのに合わせて、周りの子供やお年寄り(失礼)から「わっしょい!」、「わっしょい!」という元気の良い掛け声が飛び交います。余談ですが、当地スコーネでの新年会では、始めの頃は臼、杵を首都ストックホルムの日本大使館から借りて来ていました。北欧は湿気が少ないため、その影響からか臼はひび割れが発生し、4、5年前からは、デンマークにある東海大学の事務所から借りています。今回のデンマーク日本人会では、石の臼が用意されており、これでもうひび割れの心配が無くなったと会長のカズコ・マイヤーさんや役員らと笑いながら話しました。つきたての餅をきな粉やあんこで食べる、日本国外に住んでいる私たちにとって故郷を感じることのできる至福のひとときです。私の向かいに座った日本大使館の領事も美味しそうに食べ、おかわりをしていました。
デンマーク日本人会の新年会が行なわれたマルメは、ストックホルム、ヨーテボリに続くスウェーデン第3の都市です。そして、国名は違えど、デンマークはマルメからも身近な国となります。マルメ対岸には隣国デンマークがあり、両国を挟むオレサンド海峡は、一番近い所で4km程しか離れていません。デンマークは人口が約550万人とスウェーデンの半分弱で、広大なスウェーデンに比べ、国土面積も10分の1程度です。また、天気の良い日には、マルメ市から対岸にあるデンマークの首都、コペンハーゲンの大きな建物や工場の煙突を見る事が出来ます。隣国同士のスウェーデンとデンマークですが中世期には戦争が絶えず、1700年代までは、両国の国境は私の住むマルカリドでした。そのマルカリドから5km程南にあるスコーネ県、その隣の西海岸に面するハーランド県(ともにスウェーデンの街)も当時はデンマーク領に属されており、このことからも両国間にはかつて権力闘争が激しかったことが読み取れます。その両国の間に今から12年前の2000年に、マルメとコペンハーゲンを結ぶオレサンド橋が開通しました。この橋はオレサンド海峡を橋と海底トンネルで結んでおり、全体の長さは10km程です。近年はデンマーク、特に首都コペンハーゲンの労働事情(賃金など労働条件)が良いことから、毎日3万人近い人々がこの橋を渡って、マルメからデンマーク最大の都市コペンハーゲンへと通勤しているスウェーデン人も多数います。また、物価が安く、広い土地を持つマルメ近辺に移住するデンマーク人もおり、マルメからコペンハーゲンへ仕事に行く人も増える傾向にあります。中世期には戦争が絶えなかった両国ですが、今はもう、国境はあってないようなものになっているのです。
今はグローバル化の時代。国境を越えた人との繋がりが活性化し、異文化を体験することがとても身近になりましたね。世界の人々がどう暮らしているのかを見たり体験したりすることは、とても楽しいことです。皆さんも異文化を体験したり、自国の文化を改めて見つめ直してみてはいかがでしょうか?
2012年2月21日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰